浅井の裏切りと敗走 藤吉郎と光秀
◆永禄12年(1569年)〜元亀元年(1570年)頃
「おのおの方、軍議再開じゃ。いよいよ次なるは、朝倉義景を殲滅(せんめつ)するときじゃ。上洛するため、近江支配に対し、朝倉は、殿に従わず邪魔だてしおる。
よって、近江統一を図り上洛する。その前に北陸制覇だ。すでに殿の妹君、お市の方が輿入れした浅井家とは、姻戚関係。よって朝倉を我が殿に組み伏せる朝倉の成敗に協力するは必定。もはや挟み撃ちで勝ったも同然だ」
柴田が発言し、具体的な陣取り段取りを決めていく。
「良くぞ申した権六、皆の者、ここで越前、越後、叡山を討ち、琵琶湖を征したあとは、西国への足掛かりを強固なものにしようぞ。そして、安土に城を移すぞ」
信長が言い、約3万の兵を率いて若狭国に陣取った。
しかし、予想を越えたとんでもない凶報が入った。
「浅井謀反、同盟破棄、浅井長政陣営、北近江から越前へ進軍中」
早馬が書状を握りしめ軍議の場になだれ込んできた。
「何と言ったか? 浅井が造反と? 誠か? 信じられん。もう一度、よく調べよ」と信長は下知を下した。
しかし、各地からの報告は皆同じであった。裏切られたのは、信長だった。挟み撃ちになるは、必須。敗戦の色が時を過ぎる毎に濃くないっていく。
「信長殿、時間がありませぬ。一刻も早くここから脱出を!」と佐久間が、いきり立つ。
「何が不満だ。やつめ、朝倉を選んだか! 浅井長政、くそ。儂はまた裏切られたのか?是非に及ばず、撤退する」
信長は決断した。軍議は、一気に信長を京を経由して尾張領国へ逃げさせる手立てに変わった。
すかさず藤吉郎が席を立って発言した。
「信長様、ここは、信長様に拾って頂いた我が命、私が殿(しんがり)を務めます。
裁可を! 皆様は、信長様を連れて急ぎ、生きて岐阜へ。
態勢を整え私の代わりに裏切り者浅井朝倉を成敗してくだされ」
藤吉郎が言い放った。
すると光秀も席を立ち言い放った。
「木下殿、何を言いなさる。我も同じ美濃の弱小武将の家来であった。明智城落城の折、地方へ逃れ落ちたこの光秀、丁稚小僧や寺での浪人生活は10年あまり。信長様にこの身を拾っていただいた恩は私も同じ。
殿(しんがり)を務めもうす。私が信長様をお助け申す」
すると信長は、
「おお、よう言ってくれた。光秀、藤吉郎、おお、勝正もか。嬉しい限りだ。
しかし、命は粗末にするなよ。必ず生きよ。生きて岐阜へ戻ってこい。よいの。
皆の者も生きよ。死ぬではないぞ。一刻を競う。ささっと逃げるぞ。我に続け!」と言うなり、馬にまたがり一気に朽木峠を抜け、京経由で岐阜の領国を目指し駆けに駆けた。