おとこと女

「あっ、一ノ瀬(いちのせ)さん、最近何か面白い本、読まれました?」

一ノ瀬が食堂で夕食前と夕食後の配薬の準備に取り掛かっていると、同じく食堂で夕食に向けた配茶の準備をしていた川名香澄(かわなかすみ)が声を掛けてきた。

一ノ瀬はちょうど配薬の開始において既に食堂のそれぞれの席で待機している入居者の内、どの入居者を皮切りに配薬をスタートするか、ある程度開始の順番の目星を付けたところで、それ以外のそれぞれの方々の必要に応じた吸入薬等の定期・追加薬の準備の漏れがないかどうか確認していた。

今、時刻は午後の四時少し前の時間帯であるが、この時間帯と前後して、この後、一時間程して、食堂、隣接の厨房の中央の両開きのドアが開くと、まずは第一部の入居者の夕食が配膳されることになる。

それまでに東西の各棟の各階から次々とエリア別の複数の誘導担当の訪問介護員によって主に全介助を要する、まだ居室に滞在中の入居者がベッドから起こされると、車椅子で各自の食堂の席まで誘導されてくる。

一ノ瀬は食堂入り口付近の一連の誘導の流れにも時折視線を送りながら、食堂、中央の壁に掛けられた時計がちょうど四時を告げたら配薬をスタートさせるつもりでいた。

その時一ノ瀬がそんな心積もりを固めたところで、ある意味、不意を衝かれるかたちで、出し抜けに、川名香澄から最近の一ノ瀬の読書事情を尋ねられる恰好となった。

一ノ瀬は一瞬きょとんとしながらも、川名香澄と視線を合わせながら、

「そうですねえ……」と一言発すると、今、その一連の著作の再読に挑戦している三島由紀夫のことを思い出していた。

しかし、一ノ瀬の中で一瞬迷いが起きていた。