切り札中の切り札としての権利
序章で、差別とは、差別者が、対象となる人や人々(=被差別者)を劣位に置きあるいは置こうとすることで[注1]、被差別者に、精神的、身体的、経済的、政治的又は社会的な不利益を否応なく与える可能性のある行為[注2]、と定義した。
この定義によれば、差別は、個人の根源的平等性の否定であり、差別されない権利は、切り札としての権利の核心である個人の人格の根源的な平等性を守ることそのもの、つまり切り札としての権利を体現する特別な権利、言い換えれば切り札中の切り札としての権利、であると言える。
一方、平等権は、木村・憲法(182頁)によれば、他の国民と等しく扱われ、合理的な根拠のない区別をされない権利である。
この権利が、差別されない権利と本質的に異なるのは、平等権が問われる場面は、例えば、選挙区の投票価値の較差が許容範囲かどうかといった、公共の福祉を勘案した総合的な判断が必要な場合を含むこと。
つまり、平等権は、公共の福祉の観点で制限を課してはいけない切り札としての権利ではない。
よって、平等権は、切り札としての権利を体現する特別な権利にはなり得ない。
[注1] 劣位に置いているかどうかは客観的に(一般人の目で見てどうかで)判断し、差別者の意図の有無は問わない
[注2] 不利益を与える可能性がある行為かどうかは客観的に(一般人の目で見てどうかが基本だが、心身ダメージの判断には専門医師の意見を適宜請うこともありで)判断する
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