しかしながら、現在世界で拡大する分断・対立、そこで繰り返される差別・虐待の前では、個人の尊重や個人の根源的な平等性という抽象的な理念は虚しく響く。
どう尊重すればいいのか、どういう平等性が根源的なのか、基準が曖昧で現状を変革するトリガーにはなり難いと感じる。
人間には多かれ少なかれ差別・虐待性向がある。それは人類が生き残る上で有効だったからだろう。
一方で人間は平和と共存への志向性もまた持っている。人権という規範を見出し、差別・虐待性向の行き過ぎを抑える工夫をしてきた。
だが、人類が地球環境を変えてしまうレベルの力(温暖化、環境汚染)を持つに至った現在、地球規模で人類の盛衰を考えれば、差別・虐待性向に起因して世界各地で繰り返される対立と分断は、喫緊の課題への対処の足並みを乱し、人類の自滅を加速する。
差別・虐待性向をなくすことはできない。しかしながら、人類は文化・慣習の力で、これまで以上に差別・虐待性向を抑え込むことはできる。
今、法の原理として求められるのは、具体的な権利で、かつ、それを適用することで、既存の法や人々の意識に変化を起こすようなものだと考える。
そのような根本規範があるとすれば、切り札としての権利を体現する特別な権利としての、差別されない権利ではないか。