【前回記事を読む】「もう心残りはありませんね?」「……ひとつだけ頼み事をしていいか?」これから命を“差し出す”男の願いは——

Case: A 夫の選択

* 東康介

ここはどこだ?

確か、あの二人と別れて病室に……。だが目の前に広がるのは薄く靄がかかった白い闇ばかりだ。ドライアイスが放っているのか、蒸気で満たされている足元は履いている靴すらろくに見えない。下手に進むと何かに躓いて転びそうだ。

死後の世界……なわけないか。アイツ、最後に良い旅をとか言ってたがガイドがないと旅どころじゃないんだが? まさかここで永久の時を過ごせと言うんじゃないだろうな。何時間、何日、何年も。冗談じゃない。暇で暇で気が狂うに決まってる。

弱ったな。本当にどうすればいいんだ。あの死神、説明が少なすぎるだろ。質問しなかった俺も俺なんだが……。そういえば名前も訊いてなかった。くそったれ。

タバコを吸おうにもアイツに渡したんだった。最近は控えていたのに吸おうと思った時に無いとなると余計に吸いたくなる。ダメと言われたらやりたくなるのと同じだ。これで涼子は本当に助かるのか。やはり俺は騙されたんじゃないのか。

言いようのない不安に押しつぶされそうな時、ふと俺の視界が開けた。二、三十メートル先に薄ぼんやりとだが人影らしきものが見える。ひょっとしてアイツか。ちょうどいい。これから何をすれば、どこに行けばいいのか訊かなくては。

そう思って駆け出した俺はすぐさま見当違いなことを考えていたのだと気が付いた。死神だと名乗ったアイツは喪服のようなスーツを着ていた。けれどそこに居るのは純白のブラウスと紺色のフレアスカート、そして低いヒールのパンプスを身に付けた女だ。

左右に分けた前髪と後ろで簡単に纏められたセミロングの黒髪は見間違えようがない。事故に遭う前の涼子と一緒だ。あの日、自宅を出た時の恰好のまま、頭に巻かれていたはずの包帯もなく。

涼子は誰かを探すように周囲を見渡しているが辺り一面が白い霧に包まれた世界では芳しい結果は得られないのだろう。すぐに諦めて途方に暮れたように天を仰いでいる。

死神め。まさかこんなサプライズを用意しているとはな。よい旅を、か。涼子が目を覚ました時、おそらく何も憶えていないのだろう。だからこんなやり取りは意味が無いのかもしれない。ケジメ。確かそう言っていたな。

「涼子」