【前回記事を読む】「思い……出した」「涼子——」どんな言葉を掛ければ良いか分からなかった。嘘だと否定すべきか、事実を伝えるべきか

Case: A 夫の選択

俺は目の前で滔々と語る涼子が自分の妻だとは思えなかった。性格が正反対の双子の姉妹がいて、いま俺と話しているのはそっちなんじゃないかとまで。

どことなく幼さを残した俺の妻は俺なんかよりよっぽど大人だった。このまま涼子に命を差し出せなかったら俺はどうなる。むざむざと引き返してまた死神と会えってのか。

「お前は……俺が消えるべきではないと、そう言いたいんだな?」

「うん。ちゃんと現実と向き合って。でも私はあなたと涼介のそばにいるってことも信じて。ね?」

「気休めはやめてくれ」

「お願いあなた。私の最期の頼みなんだから――」

「俺が消えたほうがいいと思える理由を聞いたら……納得してくれるか?」

唐突な間があった。涼子は言葉の意味が分かりかねるといった戸惑いの表情を浮かべている。悪いな、涼子。本当に、秘密にしておこうと思ってたんだよ。

これが最後の喫煙だから目いっぱい吸った。途端に器官が猛烈な不快感を訴えて口から吐き出す。咳が止まらない。息が続かなくて苦しい。痰も絡む。たまらず手で口を覆うと痰に血が絡んでいた。

「だ、大丈夫……?」

「あぁ」

「風邪、なの?」

「いや、俺は肺がんなんだ」

頭の中で『肺がん』だと変換できないのか、涼子はしばらく時間を置いてから「嘘……」と漏らした。

「直接の原因はタバコの吸い過ぎでな。一年前の健康診断では異常なんて見つからなかったんだが、今回の健診ですぐに精密検査を受けろと言われて……まぁ、間が悪いというかタイミングが悪いというか、ざっくり言えば手遅れなんだ」

「な、なんで……そんな」

「俺は年老いてこそないが普通に生きてりゃがんで死ぬって年でもないだろう。若いと進行が早いってのは迷信でもない。見た目に異常はなくてもあと一ヶ月も放置していれば別人のように痩せ衰えるはずだ」

「もしかして、あの日私に言おうとしてたことって……」

「あぁ。なかなか言えなくて悪かった。どうしても決心がつかなくてズルズルと引き延ばしてたら、まぁ……こういうわけだ」

 

涼子はよろよろと近づき、俺の胸にそっと手のひらを添えた。皮と肉、骨を隔てたそこにはがん細胞に侵された俺の肺がある。

「気にするな、涼子。お前は何も悪くない。タバコを辞められなかったのは単純に俺のせいなんだ」

「私……あなたの異変に気付けなかった」

「今の俺を見て肺がんだって勘づく人間はいないさ」

――それこそ死神でもない限りな。

涼子はまだ事態を把握出来ていないらしい。俺もお前が事故に遭ったと聞いた時は似たようなものだった。