【前回の記事を読む】「特別学級なら受け入れます」学校は病気を持った車いすの私を受け入れる努力すらしてくれなかった。しかしそのお陰で――
7章 退院後の学生生活
下原先生との出逢い
ある春の日、先生が後ろに引っ張られてこけそうな程の大荷物を持ってきた。その正体は何十キロもある重い顕微鏡だった。先生は私に春の花を顕微鏡で見せてくれるためだけに持ってきてくれたのだ。春なのに先生は汗をびっしょりかいていた。
もちろん「ありがとう」の気持ちはあったが、それよりも私は先生の体力に驚いた。私はひどい生徒だ。
どんな名前の花だったかは覚えていないが、黄色い花だった。顕微鏡で見る黄色い花は、何か違うものを見ているかのように、黄色い色はより鮮やかに花弁はまぁる~い形をしていてとてもキレイだった。
先生は他にも違う花を持ってきてくれていて、私は顕微鏡でその花たちを見て絵を描いた。先生のおかげで私は外に出かけた気分だった!
先生は家庭科の授業だと言ってミシンを持ってきてくれたこともあった。私は器用ではないので、糸がまっすぐに縫えなかったり糸が切れたりした。だが、下原先生は、どんな時でも私を褒めてくれた、「カンナさん、上手ですよ」と優しい声で。
違う日は、先生はその当時珍しかったワードプロセッサーを持ってきてくれ、私はそれで日記を書いた。私は打つのが遅く字も間違いだらけだった。だが、先生は、「やっぱり現代っ子ですね、カンナさんは機械系にも強いですね」と。
先生がせっかく褒めて下さったのに、私はめちゃくちゃアナログ人間に育ってしまった。つい最近、ソーシャルネットワークを始めたばかりだ。試行錯誤しながら覚えていっている。