【前回の記事を読む】土砂降りの中、車イスでアメリカ村から心斎橋まで爆走! 友達とアホなことをしたのが楽しくて、心が舞い上がりっ放しだった。

8章 大阪女学院短期大学時代

オープンキャンパスのアルバイトとお泊り行事

出しゃばりついでに、私はオープンキャンパスのバイトにも挑んだ。人生で初めてのバイトだった。人生で初めて自分自身でお金を稼いだ。そのバイトのお金で父と母を天ぷら屋さんに招待した。

誇らし気な気持ちと少し大人になった気分がした。

その当時は今よりもいろいろな事にサポート(トイレ、移乗や移動など)が必要だったが、お泊りの学校行事もみんなのサポートで参加できていた。

グループワークをしたり、写真を撮ったり、大食堂であまり美味しくないご飯を食べたり、夜中までお喋りをしたり。お泊りイベントでは毎回、私もみんなもはっちゃけていた。

小・中・高と私は修学旅行などのお泊り行事に参加したことがなかったので、そういった行事に参加できるのは特別で、前日からテンションが上がって“必ず”寝られなかった。

ボランティア部の部長

二回生になった私は、一回生の時に仲の良い先輩に誘われて入部したボランティア部の部長に任命された。

正直なところ、任されたというより先輩から押し付けられたのが本当だったかもしれない。車いすでボランティア部ってところがいかにもって感じがしないでもないけど、えへへ。

何にせよ、部長になったことは良い経験だった。性格が違う部員たちの意見を反映し束ねることは、私には容易な作業ではなかった。十人十色で、気の強い部員がいれば内向的な部員もいた。

彼らの性格を上手く混合させたチームを組むのも、いろんな苦情が出て大変だった。“ほうれんそう(報告・連絡・相談)”は必須作業だった。「ごめーん、忘れていた」は通用しなかった。

生徒たちや先生方が楽しみにしてくれていたのが週に一回キャンパスにやって来るパン屋さんだった。地域の発達障害の方たちが作ってくれたパンをキャンパスで販売していたのだ。