先生の話に戻そう。調理実習の時間もあった。先生は毎月季節の和菓子を買ってきて下さった。例えば、五月だと鯉のぼりの形をした和菓子だった。食いしん坊な私には、この時間が一番好きな授業だった。

野外活動と称して先生と藍染めをしたこともあった。私は白い生地に上手くおしゃれに藍色を染めることができた! 気付いたら私と先生の両手も染まっていた。私たちは笑い転げた。その時の下原先生の笑顔は胸に焼き付いて笑い声は耳に残っている。

私にとってすべてが素晴らしき思い出だ。下原先生は唯一無二の存在だ。先生のようにどんな環境下でも教育に情熱を持った心の広い思いやりのある教師は世界中どこを探してもいない。

先生がいつも褒めて下さったおかげで私は自信を持つことができた。そして、先生は私に何かを知る楽しさと学ぶ大切さ喜びを教えて下さった。先生から、学ぶことは視野が広がり心が豊かになるということも学んだ。下原先生は私の恩師以上の恩師だ。

私は平野養護学校の小学部と中学部を卒業した。しかし、学校の高校には訪問学級がなかった。私の体調に無理なく通える高校探しが始まり、下原先生もそれをサポートして下さった。

次回更新は12月22日(月)、18時の予定です。

 

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