【前回の記事を読む】「国家安泰」、「民の幸福」そして、「永遠の日本」——苦難を越え、天武天皇が渇望した理念は『古事記』に刻まれた
第二章 『古事記』神話を読み解く――その一
重要機密事項を後世に伝えるための『古事記』
『古事記』は天皇家の支配の正当化を図るために書かれたものという、一種の都市伝説になっている見方がある。
西洋の近代国家観ないしは階級国家観という「色メガネ」で見るとそういう見解となってしまう。それらは国家と国民を対立関係として捉える国家観であるが、それが出てきたのは十七世紀以降のヨーロッパである。
時代的に合っていない国家観で『古事記』を読むのは、ピントの合っていない眼鏡で本を読むようなものである。せっかくなので、国家観について少し言及する。
ヨーロッパの国々は絶えず国境や宗教などをめぐって紛争を繰り返してきた歴史があり、国家が生き残るためには、どうしても巨大な権力を統治者に結集して警察国家を作り上げる必要があった。
そのため、いきおい民衆の自由な生活を圧迫することが起こりがちだった。その中で、国民という概念と共に自由、権利、さらには平等といった概念が生み出されていく。つまり、自由、権利の概念は、国家という権力組織から国民が身を守るための「武器」であり「道具」であった。十七~十八世紀の頃に成立した概念であり考えである。
それに対して日本は、四方を荒海に囲まれ他国と領土を接することがなかったため、大陸の国々のように強権国家をつくる必要がなかった。大陸や半島の国々とは全く異なった国づくりをすることになる。
一つ屋根の下という言葉があるが、日本は家族主義的国家観のもと国づくりを始める。それは言葉にも遺っている。そもそも、国に「家」を付けるが、この家は家族の意味である。家臣・家中(かちゅう)、家老、家来、すべて同じである。
国という大きな家族の中心に天皇を据え、臣や民に忠を説き、「和」を説くことにより国としてまとまろうという考えである。