【前回記事を読む】「帰ったら話がある。俺にも、キミたちにとっても。とても重要なことだ」夫はそう言って扉を開け、妻から逃れるように家を出た。

Case: A 夫の選択

康介は心電図の規則正しい音を聞きながらひたすらに待ち続ける。病室のベッドで眠る涼子が手を握り返してくれることを。

神様はいない。ハッキリとそう思ったのは交通事故や生まれ持った病で若くして亡くなる人のニュースを見る時だ。自然災害はなんとか割り切ることができる。だが我が身にその割り切れない不幸が降りかかるなど、思ってもみなかった。

阪神淡路大震災で母と故郷、生まれ育った家を亡くし、全てイチからやり直そうと一念発起して東京に出た康介は、何年かして同じく震災で父を喪っていた涼子と出会った。

ただでさえ十も年下なのに、出会った時の涼子はまだ十九歳だった。母親に無理を言って東京の大学に進学し、一人暮らしをしていたらしい。

『東さんってタバコ似合うね。その、口元を覆って人差し指と中指で挟む吸い方、カッコイイかも』

当時住んでいたマンションのベランダでこれから姿を見せようとする朝陽を待ちながら一服していた康介は、ねぼけまなこをこする涼子からそう言われた。涼子は男の家に泊まることはもちろん、何もかもが初めてだった。

『風邪ひくぞ』

『東さんだって上半身裸じゃん』

言いながら涼子は康介のシャツを羽織るだけという軽装で降り立った。それでいて下腹部のあたりをさすっている。

『痛むか?』

『うーん、初めてだから痛いのかよく分かんない。でも不思議な感じ。なんか、あったかい』

『そうか……』

どんな言葉を掛けても白々しい気がして、康介は気まずさを誤魔化すように音を立てて煙を吐いた。

『タバコって美味しいの?』

『美味い美味くないどうこうより、吸わないとやってられん』

『ニコチン中毒だね』

『ほっとけ……おい、あんまり近寄るな』

『どうして?』

近寄るどころか涼子は背後から腕を回してしがみついていた。そのせいでどうしても背中に神経が集中してしまう。