Case: A 夫の選択
数日前
「ねぇ、あなたからも言ってよ」
「なんだ藪から棒に。言ってよって、そもそも誰に何を言うんだ」
朝食の準備を終えた涼子が洗面所でネクタイを締めている夫・康介(こうすけ)に言う。
「前から言ってるじゃない。涼ちゃんの塾のことよ。あの子、最近どんどん成績が落ちてるから塾にでも通わせた方がいいんじゃないかと思って」
「本人にやる気が無ければ塾なんて通わせたところで無駄足だろう」
「でもこのまま何もしないと進路にも影響するし……」
眉尻を下げる妻と鏡越しに目が合う。『分かった。俺からも一度言ってみるよ』という言葉を待っているような、やり辛い眼差しだ。
「お前は涼介に言ったのか」
「言ったわよ。でもあの子、生返事ばかりでちっとも言うことを聞いてくれないんだもの」
「甘やかしすぎたツケだな」
言い返される前に足を前に出すと、涼子は勝手知ったると言わんばかりに後ろに下がって道を開けた。
「お前は優しすぎるんだ。涼介は中二で反抗期真っ盛りだろう。何でもかんでも親の言うことに反発したくなる年頃なんだよ。一度くらいガツンと言って鼻面を折ったほうが良いんじゃないのか」
「だからそれをあなたにお願いしたいのよ」
「俺はいつも仕事で帰りが遅い。アイツが起きる前に家を出て、眠ったあとに帰る。出張で家を空けることも多い。必然的に涼介のことはお前に任せがちになるんだから仕方がないだろ」
「でも……」
「涼介を妊娠した時、お互いにそれぞれの役目を全うしようと誓ったじゃないか。俺はお前たちのために金を稼ぐ。お前はこの家を守る」
「今はそんな亭主関白が通用する時代じゃないのよ? お隣さんだって旦那さんが週末は子どもの面倒を見てくれるから随分助かってるって言うし」
康介は湯気を立てる味噌汁を一口飲み、誤魔化すように溜め息を吐いた。
次回更新は11月29日(土)、11時の予定です。