なぜ『古事記』には卑弥呼の記事がないのか
ところで『古事記』である。『古事記』には卑弥呼の記事が全く出てこないのである。なぜなのであろうか。
天武天皇が稗田阿礼に帝紀・本辞の習誦を命じた時、そこには卑弥呼や邪馬台国の記録はなかったのか。だが『日本書紀』にはあたかも神功皇后が卑弥呼であるかのごとく、『魏志』倭人伝の記事が引用されているのである。全く何も伝わっていなかったとは考えにくいのではないか。
だとすれば、それらの記録は「古事記神話」との関係で何か都合の悪いことがあって削除されたのであろうか。
例えば『日本書紀』も、二四七年の『魏志』倭人伝の記事を削除している。この時の遣使は、「卑弥呼以に死し」の記事へと続くため、その後に二六六(神功六十六)年の遣使の記事を載せると都合が悪くなるために削除されたのかも知れない。
あるいは、狗奴(くな)国との交戦状況にも触れたくなかったのかも知れない。都合が悪ければ記事が削除されることもあり得るということだ。それは『古事記』も『日本書紀』も変わらないのではないか。
いずれにしても、『古事記』が全く触れていないことを『日本書紀』は記事にしているわけである。そこには資料による裏付けと、それなりの信念があったと考えてよいだろう。
ただそれにしてはこれらの記事はいかにもおざなりなのである。『魏志』倭人伝が読者の手元にあったなら、直ちに疑問が呈されることになっていたに違いない。
それでも「神功皇后紀」の卑弥呼の記事によって、『古事記』に卑弥呼の記事がないことへの疑問が提示されていることは間違いない。『古事記』に卑弥呼の記事がないのは『古事記』の不作為ではないのか…。こうした疑問もまた『日本書紀』のからくりを解く鍵になるのではあるまいか。
この問題については今一度「第五章 3.綏靖の即位(二七〇)以前は高天原の時代だった 『古事記』にはなぜ卑弥呼の記事がないのか」で考察してみたいと考える。
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