二 横浜
奈津が横浜の女子専門学校に入ったのは、昭和十四年の春だった。
その頃地元の香川では、女子は高等女学校を卒業すれば進学や就職をするごく一部の人は別として、早々に結婚するのが普通だった。最終学年になると奈津にも数件のお見合い話が来ていた。
地元の農家や商家に嫁ぎ、その家の嫁として一生を過ごすことに格別不満があるのではなかったが、あまり気の進むものでもなかった。そこには普通の幸せがあったかもしれなかったが、やはり心底からは乗り気にはなれなかった。
父はすぐに嫁に行かないならば、県の女子師範学校に進んではと勧めてくれた。奈津自身もそれもよいと思ったが、そのことはそのまま実家に居続けることだった。既に兄の治樹(はるき)が実家を継ぎ、まもなく嫁を迎えることになっていた。奈津も妹の亜季もいつかはこの家から出てゆかなければならなかった。
兄嫁になる人とは家に来た折に会ったことがあった。優しい人で、奈津や亜季とも仲良く過ごせると思った。しかし、幼さの残る亜季ならばまだよいが、奈津は周囲の優しさに甘えていつまでも家に居残ることはできないと考えていた。
高等女学校の五年生になったときには、卒業後には家を離れる決心をしていた。本当は東京の女子高等師範や女子専門学校に進みたいとの望みを心のうちには持っていた。
しかし、その希望を両親や兄に話すことはできなかった。娘を東京や大阪の学校に進学させて、寄宿舎に入れられる程の経済力は奈津の家にはもうなかった。東京や大阪に出て就職するにしてもその当てもなく、先が見えないまま日は過ぎていた。
【イチオシ記事】彼と一緒にお風呂に入って、そしていつもよりも早く寝室へ。それはそれは、いつもとはまた違う愛し方をしてくれて…