父は法律家の家系の出であったが、母はアカデミックな家系の出ではなかった。母は、当時としては珍しく、自信と誇りを持っており、いざこざを恐れない大胆不敵な女性であった。
母は、あらゆる弱者、冷遇されている人びと、援助を必要としている人びとに好意を抱いており、その精神でわたしを育ててくれた。彼女の善悪の判断基準は、知識よりもむしろ直感に基づいており、良いことは良い、悪いことは悪いとはっきりしていた。
その結果、わたしを、ミハエル・コールハースのような、妥協を許さない性格を持った人間に育ててくれたのである(訳者注:『ミハエル・コールハース』は、クライストの中編小説。1806年『フェーブス』6月号に初版が掲載され、1810年に『小説集』第1巻に完全版が収録されている)。
このことは、その後のわたしに大きな影響を与えている。わたしは、医師という職業に携わるようになってからも、常に、医療に対する疑問や疑念を抱えていた。
医療は、一方では、現在でも患者にとって不可欠で傑出した成果を成し遂げているが、他方では、増え続ける莫大な人件費や財政支出などの問題を数多く抱えている。
わたしは早くからこのことに気づいていた。そこには、患者の人格を剥奪することによって、医療の基本的な使命を無視するような現代医療の捉え方が含まれている。
病人のケアをする際には、病人の恐怖心や希望、実存的な動揺に対して共感的な配慮を中心とした治療がなされなければならない。
その治療は、従来の治療手段(投薬、検査・画像診断、身体的介入)をはるかに超えていなければならない。現代医療は、高性能な医療技術を駆使して、病人の体をばらばらにしていると言っても過言ではない。