【前回の記事を読む】フロイトはどのように亡くなったのか――最期の瞬間に隠された真相に迫る
第2章 序文にかえて
―この本を書く動機と正当性
人はなぜ、自分自身に手をかけたくなるのであろうか? なぜ、多くの人びと、特に重い病気の人びとが医療に助けを求めてくるのであろうか? そして、最終的には、このような要求に応じるべきか否かのついて想いをめぐらせている医師の心境は、如何なものであろうか?
時には、個人的な詳しい告白にもなるのであるが、わたしは、40年を超える医師としての生活の中から、晩年の具体的な事例をもとにして、この疑問に答えたいと考えている。
本書の目的は、読者諸兄姉に重症で絶望的な患者さんとの会話や体験、また人道的な安楽死を望んでいる人の多様な苦しみや悩みを通して、わたしの個人的な死の倫理を明らかにすることである。
そうすることによって初めて、これまで著名な医師や倫理学者、法律家、哲学者が定式化してきたことに囚われないで行動することが可能となるのである。彼らは、わたしに少なからぬ影響を与えてくれた。同時に、わたしは、彼らの立場を批判的に吟味してきたのである。
このような医療行為が、納得できるものであり医療の使命に合致することを明らかにして、場合によっては、正当化して、最終的には、人道的医療安楽死が、繊細で気に染まない選択肢だからといって、医師がそれを根本的に拒否しない勇気を持てるように元気づけたいのである。
しかし、その動機と正当性とは一体何なのであろうか? 読者諸兄姉は、きっとそのように問いかけるのではないだろうか。
その答えは、わたしにとっても簡単ではない。それは、多面的かつ重層的で、わたしの子供時代にまでさかのぼらなければならない。