普遍性
ゲーテ「特殊なものは人の共鳴をよばないのではないかと心配する必要はない。すべての性格は、どんなに特異なものでも、みな普遍性をもっているし、描かれうるものは、石から人間にいたるまで、すべて普遍性をもっている。なぜなら、万物は回帰するのであって、ただの一度しか存在しないものなんて、この世にはないからだ。」(上九一頁)
自然現象で、特異に見えるものがあるが、まれにしか起きない現象であるので特異な現象が起きたように見えるに過ぎず、まれに起きるという原則に即して起きているのだから、まさに普遍性のある現象だと理解することができる。これと同様のことが、人間社会に起きる事象についても、言えそうである。
『源氏物語』が書かれたのは、今から約千年前、貴族社会が爛熟期(らんじゅくき) に入っていたころである。社会が爛熟してくると、さまざまな腐敗や堕落が生じるらしい。どのような腐敗や堕落が生じるかは、『源氏物語』に詳しく書かれているが、総じて言えば、現代のわが国で見られる事象にそっくりのものが多い。
例えば、権力者が個人的な欲望を満足させるために権力を乱用する。権力者のまわりに、私的利益を得ようとする人々が群れ集まる。この人びとの得意とすることは「うそ」である。不正な私的利益の拡大は、やがて社会全体で支え切れないほどの規模に達する。平安時代で言えば、貴族社会の崩壊と武士の時代の到来につながる。
『源氏物語』を読み、ゲーテの言葉を味わうことによって、自然現象だけでなく、人間社会の各種の事象も繰り返すものだということが、痛切に感じられる。
『源氏物語』の映画、演劇はなぜ失敗するのか
『源氏物語』を映画や演劇にして、成功したためしがないと聞く。それはなぜか。ゲーテが答えてくれる。
ゲーテ「大詩人がすばらしく描きだした人物は、それ自体すでにただならぬ鋭い個性をもっているから、演出にあたって必ず失敗をまぬがれない。とてもふつうでは俳優に人を得られないし、俳優自身のもつ個性をどこまでも抑制しきれるものはほとんどいないからである。」(上九二〜九三頁)
要するに、大詩人が描きだした個性ある人物を、その人物になり切って演じることのできる俳優を見つけることができないからだというのである。ここで疑問が生じる。ゲーテはなぜ演出家(映画監督、舞台監督)について、何も言わないのか。それは、ゲーテ自身が舞台監督であり、大詩人の心は十分によくわかっていることを前提として話しているからである。
【イチオシ記事】彼と一緒にお風呂に入って、そしていつもよりも早く寝室へ。それはそれは、いつもとはまた違う愛し方をしてくれて…