【前回記事を読む】こうしてあの偉大なる人に触れる喜びの思いから、感動が私を襲ったのだ

一 『ゲーテとの対話』(上)を読みながら考える

ゲーテとエッカーマン

私たちはエッカーマンのおかげで、ゲーテの思想とその偉大な人物に触れることが出来た。エッカーマン自身が自信をもって書いているように、エッカーマンが『ゲーテとの対話』をまとめられたことに、深甚の敬意と感謝の意を表したい。

本書で詳しく述べるように、ゲーテの言葉によって、『源氏物語』を一層深く読むことが出来るようになった。偉大な人物は、時代を超えて、洋の東西を超えて、そびえたつものだということを、実感する。

なお、エッカーマンがゲーテに対して抱いている思いを見ておこう。

エッカーマン「この並みはずれた精神的人間は、いわばどの方角にも違った色を反射してみせる多面的なダイアモンドになぞらえることができる。だから、彼ゲーテが、さまざまな状況において、またさまざまな相手に応じて、別の人間であったように、私もまた、私の場合に、ただまったく謙虚な意味で、こう言いうるに過ぎない、これは私のゲーテである、と。」(上一三頁)

エッカーマン「ふたたびゲーテの身近にいて、ふたたび彼の語るのをきくと、私は幸福だった。全心全霊をあげてゲーテに献身したい気がした。あなたさえ得ることができれば、他のことはみなどうでもいい、と私は思った。そこで私はまた、あなたが私の特殊な事情を考えて下さって、よいとお考えになることでしたら、何でも致しますよ、とくり返した。」(上六五頁)

エッカーマンにとって、ゲーテは、永遠の憧れの人であった。ゲーテも、エッカーマンを手放そうとしない場面がしばしば見られ、エッカーマンにかなり執着していた。二人は、いわば、形影(けいえい)相伴う間柄であった。