一歩一歩

ゲーテ 「老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。」(上六八頁)

紫式部が『源氏物語』を書いている情景を思い浮かべながら、ゲーテの言葉を読み返してみよう。

紫式部は、一字一句を書き綴ってゆく。その一字一句には、紫式部の全エネルギーが凝縮されている。『源氏物語』を読むに当たっては、紫式部が一字一句に込めたエネルギーを受け止める覚悟で臨まなければならないと痛感する。

具体例を挙げる。

桐壺帝(きりつぼてい)の寵愛を受けた桐壺更衣(きりつぼのこうい)は、玉のような皇子(みこ)(帝の第二皇子で、後の光源氏。以下では、理解しやすいように「光源氏」と言う)を授かったが、他の女御(にようご)、更衣たちから陰湿ないじめを受け、病気がちになって、ついに亡くなった。

悲嘆された帝は、更衣の母君の邸に退出している皇子に会いたいという気持ちがつのって、靫負命婦(ゆげいのみようぶ)を使者として、更衣の母君のところへ遣わされた。ここで更衣の母君が言う。「身に余るほどのご寵愛をいただいたことは、かたじけない限りでございますが、人びとから嫉(そね)まれ、気苦労が多くて、『よこさまなるやうにて』(源氏物語①三一頁)亡くなってしまいました。帝のご寵愛が却って恨めしく存じます。」

「よこさまなるやうにて」亡くなるとは、「横死(おうし)」あるいは「非業(ひごう)の死」である。この一言が、物語のこれ以後の展開を規定してゆく。

「よこさまなるやうにて」の一言は、帝の胸を鋭く突き刺した。あれほど寵愛した更衣に、何と無残な死に方をさせたものか。それを更衣の母君から責められている。帝は、いても立ってもいられない気持ちになられただろう。

「こうなった以上、若君(光源氏のこと)が成長したら、いずれよいときもあるだろうから、それを糧(かて)にぜひ長生きされるように」と、帝は、母君を慰められた。母君は、将来皇子が東宮(とうぐう)になると期待しただろう。

翌年の春、東宮を決めるに当たり、帝は、光源氏を東宮にしようかとも考えられたが、第一皇子を飛び越えて光源氏を東宮にすることは世間の認めるところとなりそうにないので、第一皇子を東宮とされた(後の朱雀(すざく)帝)。更衣の母君は、もう期待することがなくなったと失望したせいか、まもなく亡くなった。このとき、光源氏は六歳。

 

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