週末になるといつも景山に歌いに行った。
マンションのおばちゃんたちと一緒。自転車はすいすい進んで二〇分で着いた。
景山の付近には安くてうまい飯店がたくさんあった。
地面にシートを敷いた露店がいっぱい。正門横の石段の上には丸椅子を置いた散髪屋が三人陣取って争って客引きをしていた。流行はバリカンを使った真四角な角刈り。まず頭頂を平面に刈る。よしうまくいった。あとは後ろと両耳の三方から垂直に刈り上げて四角くしたらお終い。切り落とした頭髪の掃除はしない。
最後の一本を取り出したときのタバコの空箱はそのまますっと落とす。
「この社会に溶け込みたかったらあんたもそうしないと。見られてるよ」
何回もおばちゃんたちに注意された。なかなかできない。勇気がいる。
それとお辞儀。
「自分では気付かんだろうけど中国人から見たらきょうだけでも何回もぺこぺこやってたわよ。ちょっとした会釈もだめなんだからね」
扉が開くのを待っていたのは三〇〇人。有料。
その内の二〇〇人は中腹にある屋根と柱だけ、四方を吹きさらしにしたコンクリートのあずまやに登っていき、楽譜と歌詞を書いた一〇〇枚の模造紙綴りを専用架台にかけた。
頃を見計らって真紅のパナマハットを小粋にかぶったアコーディオン弾きがみんなをかき分けて、指揮者の露払いをしながらやって来る。
ここでは紅軍が行った長征とそのあとに続く延安時代の革命歌が好んで歌われた。古き良き時代を偲ぶ歌声は透き通って力強い。
まだ現役も生き残っていて、多数参加していたから当時の雰囲気が素直に伝わってくる。
筋金入りのこの連中は日本人いじめなんかしない。労働者は平等。資本論の文脈に従う。日本の歌を歌えとしきりにいってくる。
景山星期合唱団。景山で行う星期は日曜日の合唱団だ。楽曲は大判の本にまとめられていた。『景山歌友心声集錦』。求めると僅かのお金で手に入る。手元にある。
指揮者が発行人でサインをもらった。小さな文字でこちょこちょとメモ書きでしてくれた。
五線譜におたまじゃくしが躍る洋楽の楽譜ではなかった。誰でもすぐに理屈の分かる番号表示の楽譜は見るのも初めてだ。
山に沿った周回路を右に取った五〇人は社交ダンスの広場へ、左に取った五〇人は紫禁城前の自由ダンスの広場へ。
山の頂上からは紫禁城の全景が鳥瞰できた。長方形に整列した巨大な建物群だ。それが大きな城壁に囲まれている。
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