【前回記事を読む】天安門広場には毛沢東。「ちょっと太り気味かな」と喋っていたら、衛兵に怒鳴られ…
二
何故Wに凹んだのか。河口が沈降してできた三角江による。三角州の逆。土砂は深い河口に落ちていって積もらない。
あの揚子江が運んできた大量の土砂が河口で消えた。頭では理解できない。三峡ダムなんて二〇年もしないうちにもう土砂に埋まりかけているというのに。ここにさらっとした凄さがある。不思議なムードが漂う。
ちょうど菜の花がちらほらと咲く草芽吹きの季節に杭州辺りでミランダと大運河の旅をした。
見晴るかす大地を断ち割り、まっすぐ伸びて、農地と運河の境界線がない。畑がすっと切れ落ちた黒い地肌は硬くて、水が来ているのに護岸工事をした跡がない。旅情を誘うこのシンプルさに感動しない旅人なんていない。
行けども行けども渡し場が来ないし、次の集落まで橋も架かっていなかった。広々としている。
菜の花だと思ったのは実は白菜の花で、種(たね)を採るため、あるいは売り物にならない取り残し。進行方向、船べりから手を伸ばせば届きそうなところにその残骸がやって来た。
まるでタコが逆立ちしたみたいに白菜の頭から七、八本の青い茎が半球状に一メートルも伸びて、掌大の濃い緑の葉っぱをぽつりぽつりと付けて、先っぽに菜の花に似た黄色い花が咲いていた。説明を受けてもにわかにはこれが白菜の成れの果てとは思えない。
中国の白菜は揚子江の北でいまの太くて長いものになった。日本のもそう。
ガラスで温室のように囲ったマンションのベランダのことを陽台(やんたい)という。
北京は一年を通して黄砂がひどいので陽台の窓を閉め切っていても、ベランダの床の毎日の拭き掃除を怠ると、一週間で黄砂が積もった。
洗濯物の取り入れにはタイミングがいる。遅れると大変だ。
冬場の陽台には白菜三〇個が横置き二段積みされた。日本では新聞紙にくるんでひっくり返す。
重たいので野菜市場からは小ぶりのリヤカー式自転車か、大ぶりの木板台車付き自転車で店の人が運んでくれた。それも料金の内。
陽台の夜間温度は摂氏マイナス五度、一ヶ月も経つと表面がちりちりに乾燥して薄茶色になってそこがうまいので捨てるところがない。