【前回の記事を読む】「君は菓子関係の技術者になれ」――菓子作り未経験の私は"左ききだから器用"という理由だけで洋菓子部門で修行することに…
1 フランスへの旅立ち
⬥海外派遣研修
1984年3月末、東京での100日間の講座が終ろうとする頃、上司より、「海外研修先が決まった」との連絡があった。派遣先は北フランス。ノルマンディー地方のルーアンにある学校で、期間は2年間。公立の学校のため10月に入学とのことだった。
ホテル研修時代、職人さんたちとフランス語で菓子の材料や作業用語の単語を学ぶ勉強会に参加していた。それ以外フランス語の勉強はしたことがなかったため驚いた。ルーアンという街の名前もこの時初めて知った。
出発まで半年程度しかなかった。このため会社に頼み込み、午前中は千葉のパン店で製パン技術の研修を受け、午後はお茶の水の仏語学校に3ケ月通うことになった。この学校には、フランス赴任が決まった人向けの短期集中コースがあり、そこでフランス語の会話を学んだ。
この学校の生徒は女性が多く、私の学んだコースにも翌年開催されるつくば万博のコンパニオンになることが決まっている人や、大学でフランス語を専攻しているが会話力をつけたくて来ている、といった若い女性が多くいた。学生に戻ったようで学校に行くことが楽しかった。
幸いこのコースの受講者に私と同時期にパリに赴任する男性が数人いた。フランス到着後、時々ルーアンからパリまで息抜きに出かけ、この友人たちとパリのカフェで会ったりご自宅を訪問したりした。この息抜きがあったおかげで2年間ホームシックになることもなく過ごせたと思う。今でもこの時お世話になったクラスメイトには感謝している。
特にパリのデパートに駐在されていたHさんご家族にはお世話になった。ご家族でルーアンまで来ていただき、奥様に私の誕生日パーティーの料理として日本の家庭料理を作っていただき、フランス人の友人にふるまった。このパーティーに参加したフランス人たちは初めて本物の日本の家庭料理を食べたと喜んでいた。これもフランス滞在中の良い思い出の一つになった。