【前回の記事を読む】「遅れたくない」と後ろで焦っていた妻をもっと気にしていれば…妻はカーブを曲がり切れず転倒。既に対向車が迫っていて…

第二章 忘却の設計図

須磨谷志保エピソード

その後、無言の時間が続いたが、次第にお互い冷静さを取り戻した。

「ごめんなさい。あまりにリアルだったので、つい感情的になってしまいました……。でも、このシミュレーションの信憑性は本当にあるんですか? こんな結末になる可能性って、本当に?」

彼女は、少し間を置いてから答えた。

「前回と同じく、行動パターンを変えない限り、その未来に至る可能性は五十%を下回ることはありません。奥様の運転技術も数値化されています。免許取得時の成績、過去の事故歴、適性……あらゆるデータに基づいた結果です」

シンクロのポテンシャルは理解していたが、被験者の立場になると、この結果は納得できない。

「来週の『子供を授かった人生』のシミュレーションは、どうなさいますか? 中止も可能ですが」

顔面蒼白の俺を気遣っての提案だったが、喉の奥から言葉を絞り出した。

「……なんとか、参加の方向で考えます」

その夜、帰宅すると、妻が先週と同じように夕食を用意していた。

「どうだった?」

「まぁ、今の暮らしの延長かな。週末にホテルで食事したり、二人でツーリングしたり……それなりに楽しいシミュレーションだったよ」

顔を引きつらせながらも、悟られないように答えた。

「そっか。そういう未来もあるんだね……」

妻は料理をしながら、小さくつぶやいた。

タイムマシンで未来を覗いたわけではない。生成AIが組み立てた物語にすぎない。必要以上に気にすることはない。そう自分に言い聞かせた。

だが一方で、行動を変えても第二、第三の試練が待ち受け、結末は結局同じ場所に行き着くのではないか、そんな考えも拭えなかった。

「AIごときに自分の人生を決められてたまるか」

強がってみても、その根拠なき反発はすぐにしぼんでいった。

さらに一週間後、また同じ場所の同じ時刻。重い足取りで治験室に向った。

今回はどんな結末が待っているのか、想像するだけで胸がざわついた。

部屋に入ると、須磨谷志保がすでに待っていた。

「あれ? 予定より随分早いですね」

平静を装って尋ねると、彼女は静かに答えた。

「先週は不快な体験をさせてしまい、申し訳ありません。今回は柴田様の意見を考慮し、生成AIのアルゴリズムを修正しました。完全にご意向を反映できるとは限りませんが……それでも、最後のシミュレーションを受けますか?」

腕を組み、返事が出なかった。シミュレーションとはいえ、もう誰の命も失いたくなかった。

「……俺は、妻の願いを叶えてやれない男として、絶望していました」

力なく項垂(うなだ)れると、彼女は静かに俺を見つめ、ゆっくり口を開いた。

「それは、あなたが奥様を心から愛している証拠です。だからこそ失うことを恐れているんです」

言葉に促され、顔を上げた。

「これまでのシミュレーションは、すべて『もしも』の物語です。離婚を選んだ未来も、二人だけの未来も、あなたを深くえぐった。それは、大切なものを失う恐怖の裏返しです」

彼女は、まっすぐ見つめて続けた。

「次は第三者からの精子提供、人工授精で子供を授かった人生を体験します。それは、柴田さんが最も恐れている選択かもしれません。ですが、その恐怖の先にある光を知る勇気を持たなければ、一生この迷宮から抜け出せません」

そして、彼女は微笑んだ。

「大丈夫。あなたはもう十分苦しみました。だから今度は、夫として、そして父親としての幸せを見つけるために、このシミュレーションを体験してください。そのために私たちはいるのです」

その言葉は、心を縛る鎖を解く、希望の鍵のように響いた。

「……わかりました。お願いします」

そう言って、端末を腕に装着した。