【前回の記事を読む】「誰それ?赤ちゃんの名前のつもり?」…様子のおかしい夫が帰ってきて、「心春も無事なのか?」とまだお腹にいる子の名前を呼んだ。

備忘録

今回の治験は、男性側の不妊の苦しみをシミュレーションするもの。参加理由はあくまで個人的なものだ。

妻の朱莉と結婚する前、彼女は「離婚歴がある」と告白していた。前の夫が無精子症で、どんな治療法も功を奏さず、最後に提示された『第三者からの精子提供』も「自分の遺伝子のない子は愛せない」と拒絶された。

子供を諦めきれなかった彼女は離婚を選び、その後、俺と出会った。

その話を聞いても、俺は元夫の葛藤を理解できなかった。男性のアイデンティティがどれほど打ち砕かれるものなのか、想像できなかったのだ。

ちょうどその頃、セントラルユニティ社の須磨谷志保と『シンクロ』の運用に関して打ち合わせをした時、彼女は、最後にあることを告げた。

それは、彼女自身の離婚に至った経緯だった。

夫に性染色体の異常が見つかり、子を諦めざるを得なかったという。

彼女は「同じ境遇の夫婦の意見を聞きたい」と医療機関に依頼したら、内密に、朱莉を紹介されたという。

同じ境遇の夫を持った妻同士の意見交換は、伴侶を否定したり、夫婦の在り方を主張するものではなく、共に相手を思いやるひと時だったと聞いた。

その意見を参考に、須磨谷志保は、『第三者精子提供』や『養子縁組』の可能性を示唆したが、夫は「自分の遺伝子のない子は愛せない」と拒絶した。説得できないまま、夫婦関係は壊れた。

妻の朱莉と須磨谷志保が、昔からの知り合いだったことには驚いたが、そのお陰で、彼らの苦悩を身をもって体験しようと決意した。

健常者がVRで『失明体験』し、目のありがたみを再認識するように、『不妊に苦しむ男性』の絶望を体験することで、現実に授かった命と家族がどれほど尊いかを実感したい。その思いから治験に参加したのだ。

もう一つの疑問は、医療機関から中止を要請されながら、なぜ研究が続いているのかという点だ。

推測だが、それには政府機関の関与があり、まったく別の目的らしい。

会社の上層部から漏れ伝わる話によれば、表向きは「戦地で心に傷を負った兵士のトラウマを消去し、健全な記憶を植え付ける」ことが目的だという。