【前回の記事を読む】夫の不妊で子供ができない。「提供精子」での妊娠を提案すると「血がつながってない子は愛せない」と言われ…

第二章 忘却の設計図

当日の夜、セントラルユニティ社が用意した治験用の部屋に案内された。

外部の刺激を遮断するため、テレビもスマホもなく、天井には監視カメラが光っている。

仰々しい装置があって、身体中に電極が貼られるようなイメージかと想像したが、両手首に端末を装着し、眠るだけらしい。

「今夜のシミュレーションは『離婚後の一人暮らし』です。内容を先に申し上げてしまうと、先入観で、体験に支障をきたす場合がございますので、今晩は、肩の力を抜いて、安心してお休みください」

須磨谷志保の声を聞き、睡眠導入剤を飲んでベッドに横たわった。

『離婚後の一人暮らし』シミュレーション

目を覚ますと、そこは自宅の寝室だった。

だが隣にあるはずの温もりはなく、冷たいシーツだけが広がっていた。

俺は離婚したのだ。自由を手に入れたはずだった。誰にも気を遣わずに済む、気ままな暮らしになると信じていた。だが現実は違った。

食卓には、コンビニ弁当やカップ麺ばかりが並び、温かい食事の記憶は遠のいていた。洗濯物は山積み、部屋には、ビールの空き缶やペットボトルが転がり、荒れ果てたままだ。

夜遅くに帰宅しても、迎えてくれる人はなく、生成AIアシスタントの「オカエリナサイ」という、抑揚のない機械音だけが虚しく響く。

孤独を紛らわすために酒に溺れたが、それすら逆に心身を蝕んでいった。そんな折、風の噂で元妻の近況を耳にした。

朱莉は再婚し、新しい夫との間に子供が生まれ、幸せに暮らしているらしい。今この瞬間も、新しい家庭に囲まれて笑っているのだろう。その幸せな光景を思い浮かべるほど、俺の人生は空虚に感じられた。

俺が与えられなかった家庭の温もりを、彼女は手にしていた。その話を聞くたび、胸の奥に焼けつくような痛みが走り、自分の惨めさが突きつけられた。

やがて胸を締めつける激痛が襲った。呼吸は浅くなり、全身から冷や汗が噴き出す。必死に救急車にすがりつき、病院へ運ばれた。

「心不全です。過去の健診データから予測できました。余命は……」

医師の冷静な言葉が、鋭い刃物のように胸に突き刺さった。

病室の白い天井を見つめながら、後悔が津波のように押し寄せた。もっと大切にすべきものがあった。

一緒に食べた食事の温もり、他愛ない会話の時間すべては、もう戻らない。

窓の外、夕焼けに染まった空は、やがて漆黒に変わっていった。それはまるで、残り少ない俺の人生の象徴のように見えた。

「シミュレーションはこれで終了です。いかがでしたか?」

須磨谷志保の声で目を開けると、そこは病室ではなく研究所の天井だった。腕の端末を見て、ようやく理解した。すべてはシミュレーションだった。だが胸の痛みと胃の重さはまだ消えず、現実の感覚として残っていた。