【前回の記事を読む】「子供が欲しいからって、ここまでする?」下半身を弄られる屈辱。枕元の看護師が気を紛らわせてくれたが…
第一章 幸せの断片
後日、産婦人科医院に訪れ、医師からカウンセリングを受けた。
「体格や血液型が同じ提供者を選び、戸籍上はご夫婦のお子さんとして認められます。提供者の情報は、守秘義務で開示されません」
条件は理解できた。だが胸に刺さったのはただ一つ、俺の血は後世に残らないという現実だった。それでも妻が望むなら、その未来を選ぶしかない。
小さな診察室は、大きな決断を迫る場となり、三人の間に無言の時間が流れた。妻は下を向いたまま、すでに答えを決めているように見えた。
そんな空気を変えるように、医師が提案した。
「人生の大きな決断に迫られた時、サイコロの目で行き先を決めるのではなく、科学に基づいたシミュレーションで決定するという方法があります。柴田さんが迷っておられる、いくつかの選択肢を試してみてからの決断でもよろしいかと思いますよ」
「シミュレーション?」
思い出したのは、俺の勤めていたクォークボトム研究室と業務提携している大手ソフト会社『セントラルユニティ社』だ。数年前、記憶移植の実験を行っていたはずだ。
「シンクロという記憶を移植する技術です。本来は、余命わずかな患者がもう一度幸せを感じて最期を迎えられるように開発されました。無料で安全な治験なのでご安心ください」
医師はさらに丁寧に説明を続けたが、俺はその全貌を理解していた。不完全な仕組みのため、移植された記憶が潜在意識を狂わせる危険があることを。
人を慰めるために生まれた優しい技術が、いま俺の未来を決める賭け札として差し出されていた。人生は本来予測不能で、偶然の出来事や人との出会いを大切にすべきだと考える人が多い。
一方で、事前のシミュレーションで危機を避けられると信じる人もいる。「無料で安全な治験」という言葉の裏に潜む闇を思うと、俺の心は暗い底へ突き落とされる感覚だった。
その時、隣の妻が口を開いた。
「治験に参加しないという選択肢もありますよね」妻は、俺の顔色から何らかの危険を察したのだろう。
「何もしない後悔もあると思う。先生も安全だと言っていたから大丈夫だよ」
俺の言葉に妻が本当に納得したかは分からない。それでも最終的に、治験に参加すると医師に伝えた。
後日、説明を受けるため、俺と妻は、セントラルユニティ社を訪れた。
出迎えたのは、四十代ほどの女性、須磨谷志保(すまたにしほ)。
彼女は、業務提携している会社の知り合いだったが、こういうプライベートな理由で会うのは、変な気分だ。
妻の朱莉も初対面だったので、俺の居心地の悪さが伝わったのか、緊張を隠せず、ソワソワしていた。
応接室では、張り詰めた空気を和らげるように、治験の目的・方法・期待される効果・リスクや副作用・途中でやめられる自由など、優しい口調で説明を受けた。
やがて彼女は、口調を変えて語り出した。
「実は、私の元夫は、性染色体の異常で子供を持てませんでした」