思わず尋ねた。
「元夫ということは、そのせいで?」
彼女は、顔色ひとつ変えずに答えた。
「私は、どうしても子供が欲しかった。柴田さんがおっしゃる『三番目の選択肢』も勧められましたが、夫は『自分の遺伝子がない子は愛せない』と。結局、それが原因だったのかもしれません」
自分に原因があるのに認められない男性の葛藤は、今の俺には痛いほど理解できる。事実を受け入れず将来の選択肢を狭めるのは、大人として無責任だ。
そして彼女は、技術の仕組みを説明し始めた。夢の移植技術は、単に映像を送り込むものではない。過去の病歴や検査結果、性格診断や日常習慣まで、あらゆるデータをAIが解析する。
その人の価値観や恐怖、喜びのポイントを学習し、静かな夢を望む者には瞑想的な光景を、刺激を求める者には社交的な場面を与える。
こうして潜在意識の奥に刻まれた記憶や感情を呼び覚まし、まるで本人の人生の一部のような夢を組み立てるのだ。
だからこそ、夢の移植は娯楽ではなく、その人の人格やアイデンティティに深く関わるデリケートなプロセスだという。
彼女は、最後に付け加えた。
「これはあくまで科学的根拠に基づいた治験です。非現実的なものではありませんのでご安心ください」
俺は、迷った末に質問した。
「この治験は、不確実要素が多すぎて、過去に中止になったのでは? 副作用で記憶の混乱が起きるとか。それなのに、なぜ今も続いているんですか?」
彼女は、少し間を置いて答えた。
「確かに表向きは中止になりましたが、上層部の指示で研究は継続されています。理由は、私たち末端には知らされていません。それと、柴田さんが開発初期に携わった『シンクロ』より、遥かにバージョンアップしています」
その答えに、背後で何か陰謀めいたことが動いているのではないか。治験への参加が、犯罪に加担することになるのではという不安が胸をよぎる。
その時、妻が口を開いた。
「やめる自由があるとおっしゃいましたよね。私は……怖いから辞退します。淳太さんはどうなの?」
妻の声は、わずかに震えていた。直感的に危険を感じ取ったのだろう。
「何もしない後悔より、俺は試したい。先生も安全だと言っていたし」
そう答えると、妻は沈黙した。納得してくれたのかどうかは分からない。
妻を孤独から救いたい気持ちと、自分が壊れてしまうかもしれない恐れ。その二つに引き裂かれながら、俺は、治験の承諾書に震える指でサインした。
妻は辞退したが、俺の基礎データ収集には協力してくれた。健康診断の結果や生活習慣の記録など、夫婦の共同作業の延長のように提出した。
治験は一週間後に始まる。
「未知の世界に迷い込んで戻れなくなるわけでありません。普段見る夢とほとんど変わりませんので」
須磨谷志保の説明に、緊張が少し和らいだ。
次回更新は11月4日(火)、21時の予定です。
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