第一章 幸せの断片
俺の名前は、柴田淳太(しばたじゅんた)。四十五歳。
十五年前、量子コンピュータの応用研究を行う『クォークボトム研究室』で、マイクロチップ用アプリ開発をしていたが、ある出来事をきっかけに退職した。
現在は臨床心理士として、NPO法人『心の再生研究所』に所属している。医療機関では生成AIを使い、患者の心理的サポートや診断・治療を支援。学校では生徒や教員の心のケアや、不登校、いじめ問題に対応している。話は、朱莉と結婚した当時にさかのぼる。
結婚したての頃、俺たちはオートバイが趣味だった。二人して普通自動二輪免許を持っていたので、新婚旅行は二台で北海道ツーリングをしたほどだ。大型連休になると、泊まりがけで日本各地を走り回った。
子供ができたタイミングで、妻には、一旦オートバイから離れてもらうように思っていたが、一向にその兆候がなかった。
普通の夫婦生活をすれば、一年程度で子供ができるだろうと思っていたが、気がつけば三年が経過した。
その当時、一番嫌だった言葉は、
「子供まだ?」
実家や親戚の家を訪れた時、遠慮なく聞かれるので、お盆やお正月の帰省が億劫になった。
「結婚して随分経つのに……やってないの? 下手なの? それとも種なし?」
それらの雑音を無視しながら、妻には、
「授かり物だから、気にしないでおこう」と慰め合った。
その頃はまだ、本当の原因を知らなかった。その後、妻は不妊治療のため、産婦人科医院に通い始めた。検査と通院を重ね、妊娠の可能性を探りながら治療を続けるうち、それは日常の一部になっていた。