【前回記事を読む】「変人と天才は紙一重だな」――自分は天才じゃないから、風体なんか気にしてる暇はない。そう思って仕事に没頭してきたのに…

第一幕 邂逅

一九九四年三月

裕子から相談を持ちかけられたその日、二人はともに関わっているプロジェクトの研究発表会の終了後、会場となったホテルの最上階にあるラウンジで待ち合わせた。

アルコールがあまり強くない裕子は、カクテル半分ほどで頬を染めながら、現在の職場の陰湿な人間関係にも辟易としていること、転職してもよいと考えていること、そして東勇会総合病院が、将来性のある若手の薬剤師を探していることなどを哲也に打ち明けた。

アルコールには目のない哲也は三杯目のスコッチウイスキーの水割りを口にし、ポリポリとぼさぼさの髪の毛を掻きながら、悪い話ではないと思った。

しかし、渡りに船じゃないかとはっきり言える雰囲気でもないと判断できるほどには、まだ素面に近かった。

「自分の思う通りにしたら良いと思う。大概の相談の結論は、自分自身が一番わかっているんだって心理学の先生が言っていたけれど」

哲也が御座なりにそう締めると、裕子は寂しそうに微笑み、窓の外に目を遣って独りごとのように呟いた。

「引き止めてはくれないんだね……」

(あっ)と哲也は思った。そして、裕子の気持ちに今まで気づかなかった、あるいは気がつかない振りをしてきた自分の気の弱さ、鈍感さを恥じた。