お政がその中から一冊を抜き取ると、ひょいっと徳造に放った。

「あ、わっ! もっと大事に扱って、わしの一番の財産や」

徳造が家を追い出されて舟屋の二階に住むとなった時に、

「そんなに大事な物なら一緒に持って行け」と言われたのだが、

「駄目や。あっこは鼠だらけや」と、大嘘をついて家に置いて来た。

必要な時には、家に来てお政に探してもらう。それを玄関土間に立ったまま読んで、上り框(がまち)に置いて帰る。お茶も水も出ないが、帳面を頼む時と、持って来てもらった時の二度だけはお政の顔を拝めるのだ。

「あの助平おやじ、仕事はちゃんとやってるんやな」

『魚釣レタ、殿喜ブ』そんないい加減な御先祖様もいる中で、徳造の帳面は事細かく、所々には絵まで入れて記されていた。

玄関で長居はされたくないから、直ぐに見つけられるようにと、暇さえあれば帳面に目を通した。今では帳面の場所と中身が、徳造以上にしっかりと頭に入っている。

「五月十日。口黒岩、上げ時に汐下がる。それと違うか」

お政が自分の膳の前に座り直す。

「そうや、これや。あの日の二枚汐は奇妙やった」

上げ潮と言っても、潮は上げるだけではない。陸にぶつかった潮は戻される。川のように水道(みずみち)を作る事もあれば、底に潜る事もある。

「やじろ、今度舟に乗せてくれんか。私、舟で海に出た事ないんや」

徳造の帳面を何度も読み返すうちに、その海を自分の目で見たくなった。

「あ、わしも」

「やじろの小舟であんたは邪魔や。殿さんの船なら乗せてやってもいいけど」

「うん、盗んででも持ってくる」

帳面を肴に、酒を飲む徳造とやじろ。それを見ながら茶を飲むお政。久々の一家団欒(だんらん)だ。 そしてこの時の会話と帳面のおかげで、やじろは自分の命を拾う事になるのだが、それはもう少し先での話。