【前回の記事を読む】房州で覚えた「鯛のしゃくり釣り」。半月にしなった竿にかかったのは…
第一章 鯛のしゃくり釣り
一
似たような大きさを二枚、徳造が良型のスズキを一尾釣ったところで竿を納めた。今日の目的は、船の具合を見ながらみおし丸に行く事だ。
釣りをしたのは太平の「ええ、ついでですから」に過ぎない。みおし丸は下浜の網元の一人で、昔から釣り御用の時の餌を頼んでいる。
「やっぱり、鯛には早いんでしょうか」
みおし丸の浜小屋で、お昼を呼ばれながら太平が聞いた。
「網に入っとるのは細(こま)いのばかりや。スズキは太いのがばんばん入っとる。狙うんならスズキやろ」
みおし丸こと弥太太夫(やただゆう)が、石蟹のような厳(いか)つい顔でそう教えてくれた。弥太太夫は地曳き網と巻き網の網元で、みおし丸は持ち船の名からきた屋号で通り名だ。
ちなみに、弥太太夫とやじろは親子なのだがあまり似ていない。顔も体も石蟹のようにがしりとした弥太太夫に対して、やじろは頭二つほど背が高く、顔も逆さにしたらっきょのようで、蟹よりはヤドカリに似ている。
「やっぱりスズキですよねえ。でも信久さんは鯛のしゃくり釣りが大好きなんですよ。ええ、実に残念です」
太平の実に残念そうな顔は、信久公のためばかりとはとても思えない。
「太平よ。イカ獲れたら飼っといてやる」
弥太太夫が、海で刻まれた皺に笑い皺を加えた。
「あ、はい。それです、やたろさん」
太平の顔が一気に明るくなった。
しゃくり釣りに活きイカは滅多に使わない。海老よりも泳ぐ力が強いから、誘いをかけるのが難しい。それに、海老のように一発で食ってくれないから合わせも難しくなる。
「はい。でも、イカに来る鯛は飛びっ切りですから」
帰りの船では、やじろに代わって徳造が櫓を握った。やじろは座敷で大の字となってのいびき高鼾だ。
太平は舳先(へさき)に座って、飽きる事なく海を眺めていたが、途中でことんと動かなくなった。膝をついて、背中はさっきまで座っていた船梁に預け、海老反ったまま頭は船底に着いている。