目が覚めなければいいのにとさえ思った。そんなある日だった。初夏の午後だったと思う。不思議な出会いに遭遇した。あてもなく家を出た私は山手線で駒込から新宿へ向かい京王線に乗った。
意思もなく目的もない私の手を誰かが引いているようだった。気がつくと蕎麦屋や土産物の店が並んだ石畳の参道らしき狭い道を歩いていた。
古い山門を入ると、右手に大きな鐘楼(しょうろう)があった。
「え、ここって――もしかして深大寺?」
深大寺は武蔵野の古刹(こさつ)。武蔵野は私自身の故郷の代名詞でもある。小学四年生から六年間調布市に住んで、八雲台小学校に通った私にとって、深大寺の境内や周辺は格好の遊び場だった。
昭和三十年代後期の深大寺周辺には住宅はまばらで、一面に水田が広がり、真っ赤な彼岸花が風に揺れていた。
野川の岸に茂る数珠玉(じゅずだま)で自慢の首飾りを作った。参道の入り口の手打ち蕎麦の店では注文してから蕎麦を打つので、のんびり三十分待つのは当たり前だった。
夏の夜には蛍が舞い、光の糸を紡いだ。半世紀前、そこには今では想像もできない美しい日本の里山が広がっていたのだ。私たち仲良し四人組は夜こっそり蛍を見に行って親たちを心配させたものだ。
木漏れ日が僅かに夕陽の色合いを帯び、涼し気な小川の水音が耳を打った。訳が分からず、ただ夢遊病者のように鐘楼を見上げてぼんやり立っている私の肩を誰かが掴んだ。
「ゆこちゃん? ゆこちゃんじゃない?」
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