【前回の記事を読む】「あなたに任せます。その家で家族と笑って暮らせればそれでいいんです」40代夫婦から、古民家リノベーションを依頼され…

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住宅メーカーを退職してフリーになってから十年、豊島区駒込のマンションに自宅兼オフィスを構えている。

インテリアコーディネーター歴は三十年を超える。住宅デザインを手掛ける時には必ず施主さんとの世間話や思い出話にできるだけ時間をかける。

出来上がったプランは何枚も手描きのパースを添えて、プレゼンにはまるで小説の題名のようにコンセプトをイメージし易いタイトルをつける。

定年後房総に別荘を希望されるご夫妻には「空と波に会いに行こう」、反抗期のお嬢さんに手を焼くご家族には「ヒロインは私」という感じだ。これまでの流儀に疑問を感じたことはなかった。

しかし、今の時代はAIの素早い的確な分析を駆使し、VRの仮想空間での意思伝達が強力な説得力を持つ。

クライアントの心の泉から湧き出る密かな思いを、会話というアナログなやりとりの中に汲み取って形にしていく私の手法がどこまで通じるのか?

ここのところ続いていたキャンセル案件に、結構落ちこんでいた矢先だったからである。

どうにも進まない寺田邸のプランで煮詰まった気分を変えようとあたりを見回した時、デスク脇の書棚にしまいこまれた細長い小箱が目に入った。

箱を取り出して開けてみると、中には二枚の古びた絵葉書と封書が入っていた。絵葉書は札幌の時計台と支笏湖(しこつこ)の紅葉。

封書の差出人は「武田文也」、大好きだった幼馴染の文也くんだ! 消印は札幌、昭和五十六年。私の記憶は一気に数十年の時を遡(さかのぼ)った。

その年は私の人生最悪の試練の年だった。一人息子の貴志を亡くした年だ。

私は結婚三年目で離婚した。大学の研究室の若い院生と夫が不倫関係になったのが原因だった。二十六歳の時だ。