第1章 医師法第21条を考える
医療事故調査制度設立の動きの発端は、法医学界の「異状死ガイドライン」であるとの意見も間違いではなく、この「異状死ガイドライン」を避けて通ることはできない。しかし、直接の出発点であり、それまで医療者がその条文に関心も持たなかった医師法第21条が脚光を浴び、また、今日まで種々の意味で注目される重大事件は、やはり、東京都立広尾病院事件であろう。この東京都立広尾病院事件と医師法第21条の問題について考えてみたい。
(1)東京都立広尾病院事件の事実経過と東京地裁判決
本事件については、刑事が、地裁・高裁・最高裁、民事が、地裁・高裁と合わせて5つの判決がある。本事件の事実経過について、客観的な経過の記載ということで、刑事裁判の東京地裁判決文に東京高裁判決文を加味し要約したい。その他の必要な箇所は、それぞれの場所で追加記載することとしたい。
【事件番号】東京地方裁判所判決/平成12年(合わ)第199号
医師法違反、虚偽有印公文書作成、同行使被告事件
【判決日付】平成13年8月30日(被告人は東京都立広尾病院の院長であるが、当事者は、同病院の看護師である。)
事件の事実の経緯(東京地裁判決文に一部東京高裁判決文を加味・修正)
① 58歳の慢性関節リウマチ患者D子が、平成11年2月8日、左中指の滑膜切除手術を受けるために東京都立広尾病院に入院。2月10日、主治医である整形外科C医師の執刀で左中指滑膜切除手術を受け、手術は無事終了、術後経過良好であった。
翌日(平成11年2月11日)午前8時30分頃、患者の留置針の血液凝固防止目的のヘパロック用ヘパリン生食(ヘパ生)10㎖注射器を、処置室においてE看護師が準備し、注射器にマジックで「ヘパ生」と書いて処置台の上に置いた。この際、他患者に使用予定の消毒液ヒビテングルコネート液(ヒビグル)10㎖注射器を同時に準備し、処置台の上に並べて置いた。
E看護師は、このヒビグル注射器につけるべき「F子様洗浄用ヒビグル」というメモをヒビグル入り注射器にセロハンテープで貼り付けたつもりであったが、誤って、ヘパ生の注射器に貼り付けてしまった。E看護師は、取り違えた(ヘパ生と誤信した)ヒビル注射器(ヘパ生との記載はない)を患者D子の床頭台の上に置き、その場を離れた。
同日9時頃、抗生剤の点滴が終了し、患者D子が押したナースコールに応じて赴いたG看護師が、床頭台の上にある注射液をヘパ生と誤信し(ヘバ生との記載はなく、実はヒビグルであった。)、留置針のヘパロックを行い病室を出た。このため、ヒビグル約1㎖が患者D子の体内に注入されることとなった。残り約9㎖は点滴ルート内に残存していた。
その後、E看護師が点滴の確認のために患者D子の病室に戻ったところ、既に抗生剤の点滴は終わっており、G看護師によりヘパロックされていた。まもなく、患者D子 はE看護師に「胸が苦しい」と苦痛を訴え始めた。
E看護師は抗生剤の影響かと思ったが、前夜の点滴時は異状がなかったため、当直のH医師に連絡。H医師の指示で、血管確保のための維持液の点滴が開始されたが、維持液に先立ち、点滴ルート内のヒビテングルコネート液約9㎖全量を体内に注入する結果となった。