夏休みに入ると必ず観られるテレビのシーンがある。駅に列車の到着を待つ祖父母があり、その祖父母に走り寄って飛びつく子どもたちである。インタビューされた子どもたちは決まって「おじいちゃんと遊ぶ」「おばあちゃんと遊ぶ」と満面の笑みで応えている。
帰省するのだからふだんは別々に暮らしているのだろうが祖父母と孫には親子には見られないなんともほっこりするつながりが見られるのは不思議だ。
私自身のことでいうなら私は祖父母にかわいがられたという思い出は全くない。私はこれまで母方の祖母のことは所々に書いてきた。非常に毅然とした気丈な人で私は感銘さえもってきた。しかし祖母は私たち孫をかわいがるという接し方ではなかった。
祖父は私たち家族が疎開先から引き揚げてきてからずっと同居していたが、我々家族の中で別格の存在だった。食事は茶の間で一緒にしていたが祖父だけは小さなちゃぶ台で食べ、その上にのる料理も私たちと違う高級な酒の肴が添えられていた。
私たち孫にとってはお年玉が百円札一枚だったのでその時ばかりは子ども心にはずんでいたという思い出だけである。
父方の祖父は私が物心ついた時には既に亡くなっていたので縁の無い人だった。祖母は子どもの私の目にも美人できちんと髷を結ってその着物姿には近づきがたいほどのたたずまいがあった。
その祖母がお年玉の十円札をタンスの引出しから出してくれるのだがその手の切れるような紙幣は私には冷たいお年玉であった。父が次男でしかも肺結核を患っていたために父の実家との付き合いはなかったといってもいい。
こんなわけで私には祖父母にかわいがられたという記憶はない。そのためばかりとはいえないが「介護」など私の頭の片隅にもなかった。老人ホームに入居して見聞きしたスタッフの祖父母とのつながりは新しい発見でさえあった。
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