男は何かを言いかけたが、やめた。なぜ「お裕」という名前が出てきたのか、そのときはまだ思い出せないでいた。

「まあ、お兄さん、目を覚ましたかい。さっきはありがとうよ。お礼を言うよ。今日はゆっくり休んでっておくれ。さくらはトラと向こうへ行っておいで」

さくらはたどたどしい足取りで、トラの首の鈴の音とともに奥の部屋へ消えた。

勘治は言いずらそうに口角を下げながら「あの、さくらちゃんは、目が不自由なのかい?」

「ああ、生まれつきでね。全くではなくて、ぼんやりと見えているらしいんだけどね。でも利発な子で、一度も弱音を吐いたことはないんだ。何にでも好奇心があるからよく迷子になっちまう。だから今日もあの騒ぎさ。ただちょっと変わっているんだけどね……」

「まあ、子どもはみんな元気でお調子者だからな。子どもらしくていいじゃねえか。でも変わっているって、何が?」

「あの子の言ったことはまぐれなのかわからないけども、必ず当たるんだよ。例えばお天気とか、豊作だとか。で、ある時、お向かいさんの臨終の時期を当てちゃって……。だからあんまり口に出して言わないようにって釘さしてんだよ」

「へえー、占い師みてぇじゃないか。まあ、勘がいいのかもしれねえな。おいらだったら博打(ばくち)の賭け先を聞いてみてえなあ。はっはっはっはっ」

勘治はあごの無精ひげを撫でながらカンラカンラと笑った。

 

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