【前回の記事を読む】「ぐわっ!」「ぎぇーー!」何百何千という針のような水の矢が、修験の集団めがけて雨霰のように降り注いでいた

第一章 蓮華衆(れんげしゅう)

足の速さは蓮華衆のなかでも飛びぬけていた。足の速さだけが取り柄といってもいい。忍びの訓練では何一つものにできなかった義近だが、足の速さと膂力(りょりょく)だけは並みの忍び以上といってもよかった。

走りながら後ろの方で轟音が聞こえた。

(源じい、ごめん。おいらが我がままを言ったばかりにこんなことになっちまって)

泣きながら後ろを振り返ることなく、一心不乱にまっすぐに走った。転びながら躓(つまづ)きながらも、がむしゃらに走った。すっかり背中の箱の重みも忘れていた。

義近は源三郎から箱の中身について少しだけ聞いていた。

これは伝説の忍びが持っていたもので、必ず渡さなくてはならない。これを扱えるのはその忍びだけで、この世の悪を滅することが出来る唯一のもの。

太平の世に安定をもたらすものである、と。しかし何であるのかまでは知らされていない。ただ一番足の速い義近に箱を任せたのは、今となっては源三郎の采配の妙(みょう)という他ない。

杉木立を抜けると岩場の道に出た。道の先には川が流れている。

義近は足を止め、背中の箱をおろした。箱にはかなりの傷がついているが、中身は大丈夫なようだ。

紐をもう一度しっかりと締め直し、ふたたび背負い立ち上がった。この道をまっすぐに進むと琵琶湖が見えてくるはずだ。もうすぐで坂本の町に入る。

汗を拭(ぬぐ)い顔を上げたとき、不意に前方から声が響いた。

「おい小僧、ずいぶんと足が速いな。あたいの姉貴(あねき)すら追いつけなかったよ」

義近は目を瞠(みは)った。

前方の大きな岩の上に、籐黄色(とうきいろ)の衣を纏(まと)った女が胡坐(あぐら)をかいて座っていた。初めて敵と一対一で遭遇し狼狽(ろうばい)の色は隠せなかった。