嘉子はわっと泣き伏した。
「父ちゃん母ちゃん姉ちゃん、うちが重ちゃんと結婚して障害児ができたらあんたたちと縁を切って重ちゃんと二人でその子をしっかり育てていくよ。」
「嘉子。」長太郎の目は濡れていた。
「我がそないな優しい子でおらは嬉しいがや。法子、我の言うのもわからんではないが、これも蓋を開けてみんことには何とも言えんがや。それになんや知らんがおらを筆頭に法子のとこの繁好も一人やし重正も一人。そんな中やけん何があっても仲良うしていこうやないか。」
「うちの人はどう言うか知らんけど帰るばい。」
法子は立ちあがった。何故かイチノも法子に続いて家を出た。
「嘉子、何事も宿命と思うて受け入れるんじゃ。あんまり気にするな。」
長太郎の一言は嘉子の胸に染みた。嘉子はじっとしてはいられなかった。重正を待ちながら以前勤めていた有松病院と助産婦の藤島紗枝(ふじしまさえ)にも頼んで産院にも勤めさせてくれるよう訪れると、双方とも快く引き受けてくれた。早速彼女は勤めに出ることにした。
丸山重正の帰国
「班長どの、まっこと日本に帰れるんですなあ。」
浅野琢造(あさのたくぞう)が感慨深げに呟いた。
「ああもうすぐだ。みんな心を一つにして最後までついてきてくれたからだ。わしは嬉しかったぞ。おかげで梶本班の七人は日本の土が踏めるのだ。」
昭和十七年六月に香川県善通寺市に送られた丸山重正は第40師団の騎兵に属し、13連隊鯨部隊に配属され、戦地に赴く頃には梶本班の一員だった。坂出の港から乗船した頃は鯨部隊も五千人がいたのに帰国時の乗船はわずか六十三人だった。
ただ鯨部隊の半数は後にフィリピンに送られたから正確なことは分からない。まして二万人からいた第40師団は戦いの最中アメーバ赤痢に襲われ多数の兵が命を落とし、さらに昭和十八年三月に砲兵隊が切り離されて31連隊となり、馬の調達も困難となって騎兵隊も壊滅した。
そんな中で梶本班は戦死はともかく一人も欠けることなく帰国できたことは、彼の人望の厚さに依るものだろう。
だが梶本班とて最初から足並みが揃っていたわけではなかった。種を明かせばこのメンバーのそれぞれが多かれ少なかれ班長には世話を掛けている。酒癖の悪かった古参兵の浅野は連隊長の新車を海に投げ込むし、現地出発日がきても一人の面会者も来なかった重正の沈みきった様子に梶本班長は彼の心をほぐしてくれたのだ。
やがて船は中国華中の揚子江を遡り、ブンショウという港に着いた。兵舎に入り一息つくと班長は彼を人気のない場所に連れ出した。
「貴様の所には誰も面会者が来なかったようだな。許嫁も来なかったのか。」
「来なかったであります。」
「そうかそれで貴様の顔は死んどるぞ。なあ丸山、許嫁は貴様の出発を知らなかったのではないのか。貴様の征露丸事件を見ても女が心変わりしたとは思えんぞ。丸山、本気で惚れた女なら一度はとことん信じてやらんか。」
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