【前回の記事を読む】実話】生まれてきた子は"両目が無かった"――現代より理不尽な扱いを受けやすい昭和時代、全盲の少女はどう生き抜いてきたのか
プロローグ
「伯父さん伯母さん、お昼は僕が腕によりをかけてそうめんを湯がきますから待っていてくださいね。くじ運の悪い僕がなんと今日の配給で一等を当てたんですから、この赤ちゃんは福の神ですよ。それに僕が一番に赤ちゃんと話したのですからね。何でも一番はよいもんですね。」
長太郎とイチノにそう言って新は台所に立った。
やがて台所から新の軽快な歌声が聞こえてきた。
嘉子と重正がどのようにして結ばれたのか、生まれてきた子はどのように育ったのか、丸山家の話を続けるとしよう。
第1章 丸山家の人々
嘉子の帰国
昭和二十一年二月上旬。
丸山嘉子を乗せた船は釜山港(プサンこう)を離れ無事門司港に着いた。
「とうとう日本に帰ってきたのだなあ。」
嘉子はそっと安堵の吐息を漏らした。
騎兵として中国に送られた許嫁の重正を追いかけた嘉子は、親兄弟を振り切って看護師として青島(チンタオ)保健所へと渡った。たとえ重正と会えなくても彼が戦死したなら自分も同じ国の土になる決心でやって来たのだった。だが重正はどうやら無事帰国できるだろうとの情報を得ることができた。嘉子は一縷の望みを託し、帰国することにした。
青島には直接行けたが帰国は前年の敗戦により安全性を踏まえ、釜山港まで列車で移動しなければならなかった。それも回りの状況を判断しての走行だったため大変な時間を要した。
釜山に着いた嘉子は、故郷である日本行きの船に上手く乗船することができた。
「父ちゃん母ちゃんただいま」玄関を開けると大声で叫んだ。
「おお嘉子かや、ようもんてきたねえ」
「よこしゃん」父長太郎と母のイチノは嘉子にすがって泣き崩れた。
「まあ疲れたやろう、ゆっくり休めや。おらあ法子たちに知らせて何か美味いものでも買うてくるがや」
長太郎は買いもの籠を提(さ)げて出て行った。
嘉子も疲れが出たのか畳に頽(くずお)れた。
「よこしゃん今年の元日にまっちゃんが風邪で一晩寝込んだだけで死んだとばい。」
「えっマツエ叔母さんが。」嘉子は思わず飛び起きた。
「そうたい。四十九日法要はまだやけんど、落ち着いたら挨拶を兼ねてまっちゃんに線香でも上げてやってくれんかね。」
「明日早速行ってくるよ。けど重ちゃんが可哀想やねえ。」
重正の母マツエは嘉子の母イチノの兄重太郎に嫁いでいた。