私も三月まで在籍していたW社でP氏の上司だったT氏も、X社をよく思っていない人物の一人であった。

P氏や他の人がいない土曜の昼前にX社の部屋に現れては彼の力不足と性格面での問題について私に説いて聞かせるT氏が同じことを親会社の要人の耳にも入れているとすれば、彼が主役を自任しているX社など出資に値しない会社だと判断されるにちがいなく、その高い蓋然性(がいぜんせい)と比べればAさんの件は私には小さかった。

T氏によれば自分がP君を見捨て、困った彼がXさんと一緒につくったのがX社ということであるらしく、おそらく切り捨てた相手が息を吹き返すのは面白くないとの思いもあって、T氏は彼の批判を私の前で執拗に繰り返していた。

P氏と一緒にX社を成功させる望みを抱いている私はT氏の言葉を積極的に信じる気にはなれなかったが、たしかに言う通りだと次第に認めざるを得なくなった。

専門分野で年齢相応の経験を積んでいないのはX社が始まる前から私も気づいており、独特な経歴から察すれば当然だとその点は向上を期待して許容できても、功名心が強い一方で責任感の乏しい性質は回復の難しい事態を次々に生み出しつつあり、特にAさんにふられた頃から歯止めが利かなくなったかのような印象があった。

T氏が嫌悪感を込めて語るのと同じように、X社でもP氏と関わる機会の多い社員のほとんどが彼の言動や適性を問題にするようになっていた。五人いる彼の部下はT氏と同じように彼を指導能力と自制心の欠けた人と見なし、二人の部長は四十代になっても思い込みの激しさから失敗を繰り返す彼の性格に苦笑していた。

興味深いのはP氏も負けず劣らず彼らを問題にしていたことだった。AさんとBさんは土日に来ない、熱意がないと第三者に言い触らし、親会社から出向している部長たちは典型的な大企業の人でX社には向かない性格の持ち主だと彼は一方的に決めつけていた。

自分への批判に対するお返しとして相手を問題にしているというよりは、他人を借り物の正義やステレオタイプで問題にする傾向が先にあるらしく、その根強さも彼と周りの対立を深める要因になっていた。

比較的中立に近い立場にいた私は、P氏の不平不満だけでなく夢や理想についても聞く機会が多かった。

X社をベンチャー企業と見なす彼は、スタートアップ企業が短期間で大成功する米国の例について熱く語り、日本の大企業を平凡な秀才の集まる場所として軽蔑していた。

研究開発型の企業であるX社を自分の独創的な才能によって大きくし、ベンチャーが大成功した日本の稀有な例の立役者として世間から認められるというのが彼の夢であるらしく、始まったばかりのX社を私情で混乱させながら、彼は成功した未来の物語をめざして邁進(まいしん)を続けていた。

 

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