【前回記事を読む】職務より自身の事情に意識が囚われた人が力を持っていると、個別の技術的な課題は解決できても仕事はいつまでも大きく結実しない
第一章 幸せなおじさんたちの罪
―崩壊する「科学技術立国」の現場
ベンチャー企業X社の事例
人と社会にとって好ましくない事態は、これは何々の問題だと整理分類すると話がしやすい。次のパラグラフを、もし自分が同じ状況に置かれたら何を考えてどう対処するかと問われている前提で読んでみてほしい。
夕刻に軽く食事をしてから職場に戻ると、女性社員一名と上司の男性だけが残っていて二人で何かを話している。女性は怒った口調で何かを拒絶する言葉を発しており、他の女性社員から日中に伝え聞いた話から察すると、上司は数日前に断られたデートの申し込みを他の人がいなくなった職場で繰り返しているらしい。
百四十字ほどのこの文を読むと、職場におけるセクハラやパワハラの話だということは理解できる。そして社会で広く認知されている問題であるために、自分ならこうすると対応案をすぐに思い浮かべられる人も少なくないのではないかと思われる。
しかし現実の世界には複雑な事情があり、理想的な行動を選択するのは実際には難しい。二〇〇〇年十一月十三日の午後六時頃にその状況に接した私は、上司のP氏が部下のAさんを困らせている件について彼の上長である部長や社長に伝えようとせず、小さな会社の中枢にある人たちが仕事の現場で何が起きているかわからないままにする愚を犯した。
上に話さなかった理由は複数あり、当事者であるAさんが騒ぎを大きくしないでいるときに自分が報告する必要はないと考えたのも一つの理由であった。さらにP氏と会社は他に深刻な問題を抱えており、Aさんの件を彼女と親しいBさんに数週間前に教えてもらったときから特に重視していなかったという事情も大きかった。
P氏と彼が敬愛するX社長が意気投合して生まれたらしいX社は、この年の四月に本格的に始動する前から危ない会社だと噂されていた。出資している親会社にX社を好ましく思っていない人がいるらしく、一年か二年で大きな実績を示さなければ存続するのはおそらく難しかった。