「食事、主食、副食とも全量摂取、ほかにご自身で購入してきた塩辛もお召し上がりになった」

記しますよ。記して全職員が閲覧して「情報共有」するんですよ。嫌なことだろうな、それ、閲覧して共有されたら嫌だろうな。

拓也さんはタバコを吸うので食事が終わったら離席して喫煙所に向かう。キッチンのカウンターの隅で記録を書いていると、彼はマスクの上からそっと二本指をあてて小さい声で「キスして」と言う。

記録しちゃうか、とも思う。できない相談だな。食事、主食全量、副食5割摂取、汁5割、水分200ml。

そうして記録していると、後ろからそっと私の頭を撫でる。誰にも分からないように。

実に20年ぶり、そういう述懐はさておき、そんなことするなとも言えない。騒ぎ立ててしまったら、拓也さんの立場は微妙ってことになる。私の立場もしかり。

毅然としてだめと断って、がっかりさせないで、と伝えればいいと先輩は話す。なんかなんか、なんかだよなあ。先輩は分かんないんだよ、男女の妙味ってのが分かんないんだよ。そうかと言えば「気ままに過ごせる場所であるといいんでしょうね」なんて言うし。

まあ、あんまり私の体を気ままにどうかするとかは困る。セクハラのラインというのがあるけど、これ微妙っちゃ微妙。相手が嫌だと思えばそれはダメ。これ、前提。拓也さんに頭を撫でられるのは別に嫌ではない。

ダメ、というのは簡単だけど、彼なりのぎりぎりの愛情表現。私も彼のことを好いている。恋ではないけど、好いている。なかなかに振り払うことができない。黙ってそうされている。

 

👉『はないろ、きみと』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】その夜、彼女の中に入ったあとに僕は名前を呼んだ。小さな声で「嬉しい」と少し涙ぐんでいるようにも見えた...

【注目記事】右足を切断するしか、命をつなぐ方法はない。「代われるものなら母さんの足をあげたい」息子は、右足の切断を自ら決意した。