それは2000年代前半の年の瀬も押し詰まった日であった。私は海辺にある病院で大みそかの夜勤・当直を務めていた。この病院は地方の中核都市にあるいくつかの基幹病院の一つであったが、町の中心から少し離れた位置にあることから、通うには少し不便だった。

そのため、多くの患者・家族は車を使い、大橋を渡ってアクセスしていた。多くの医療従事者が年越しを自宅で家族とともに迎える中で、誰かが務めなければならない大みそかの当直をすることにめぐり合わせの悪さを感じつつも、こんな日に病院の医療を支えているということに、小さな誇りを感じていた。

そして、荒れることなく、穏やかに新年を迎えられればいいがと思っていた。

大みそかの夜は恒例の紅白歌合戦を当直室のテレビで見ながら、今年はやった楽曲が流れるのを聞いていた。

その年、特にヒットした曲の一つが「涙そうそう」。沖縄ののどかで少し悲しげな調べは心に染み入る歌声となって、聞こえてきた。

そろそろ眠りにつこうかとベッドに横になり、うつらうつらし始めていた時、突然、救急外来からPHS(ピッチ)に連絡が入った。「救急隊からの連絡があり、胸を刺された外傷の人がいるので、そちらの病院に救急搬送します」とのことだった。

私は何か予感するものがあって、手術着に着替えて、救急外来に降りて待機することにした。救急外来にエレベーターで降りていくと、一緒に待機する救急外来の看護師や検査技師たちが、既にスタンバイしていた。

 

直ちに対応が必要と予想される処置や検査の準備をし、輸血が必要になる可能性も想定しながら慌ただしく準備を進めていた。

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