罪の行方 心臓手術が救った二人
11月の晩秋を迎えたある土曜日の夜のことであった。クリニックでの診療の仕事を終えて帰宅した私は、妻と夕食の食卓をともにしていた。長年連れ添った相手とは特に話すことも多くなく、その日の出来事を少しばかり話はするが、どちらかというと物静かに時間が過ぎていった。
食事を終えたあと、私はソファに座ってNHKの夜7時からのニュースを見るともなく見ていた。番組最後の天気予報では、明日はこれまでの季節外れの暖かい日々が終了し、冷たい北風が吹いて、気温が急に下がるとの予報であった。
ニュースが終了し、7時半からの番組に移っていく。始まったのは「新プロジェクトX 挑戦者たち」。新シリーズになってからも数々の心に残るビッグプロジェクトを特集してきた中で、今日のトピックは何だろうかと思いを巡らしていたところ、以前放送されたプロジェクトXの再放送だった。
「ホテルニュージャパンの火事に挑む、東京消防庁の人命救助班」との表題の番組が始まった。そういえば1982年に発生したホテルニュージャパン火災事故では、多数の優秀な脳神経外科医が火災で亡くなったことを思い出した。
番組の中では麹町消防署永田町出張所の第11特別救助隊の火災現場での活動が細かくレポートされていた。人命救助班の隊長を中心に、火災現場のホテルに急行し、9階・10階に取り残された宿泊客を救助するために、ホテルの屋上から部屋の窓を通して救助に入るやりとりが映し出されていた。
隊員の一人が火災現場の部屋に突入する時の緊迫する状況、吸入する酸素がなくなったことを示すアラームを聞き、一旦屋上に戻った後、今度は隊長自らが、炎が一気に燃え広がるバーストがいつ起こってもおかしくない状況の中で、部屋への再突入を自分自身で行うというリスクを背負った重い決断に至る緊張感が見事に描き出されていた。
一瞬の猶予や決断の遅れが、人命救助の現場で命取りになるこの緊迫感、私は思わず涙が浮かびこぼれるのを、禁じえなかった。
ふと気づくと、妻が右斜め前から私をのぞき込んで、驚いたように笑っていることに気が付いた。
「どうしたの、泣いているの?」少なからず驚いたような声で話しかける妻に対して、見せたくない場面を見つけられてしまったような気持ちになって答えた。
「いや、命のやりとりの緊迫感に感動してしまって、感極まってしまったんだ」
私は、目じりから流れ落ちる涙を右手で拭いながら少し恥ずかし気に妻を見つめた。
「そうなの? 毎日決まった時間に出勤し、そんなに遅くない時間に帰宅する日常を送っている最近のあなたに、そんな一面があるなんて少しびっくりしたわ」
自分が少しからかわれているのを感じながら「ばかみたいで、おかしいか?」
妻はおもむろに「60歳を超えて、平凡な日常を送っているあなたに、そんな心を揺さぶられる気持ちがわいてくるなんて、ちょっとびっくりしたのよ」。
私は静かに、虚空に何かを追い求めるように見つめながら、「いや、この緊迫感を見ているうちに昔のあることを思い出したんだよ、私にも緊迫した命のやり取りを経験したことがあったんだ」。
そして私は、在りし日のエピソードを、語り始めた。