―JRの東舞鶴駅南側一帯は、市の中心地でありながら、広大な土地が荒廃し切って、手のつけられない状態であった―、―国と京都府、舞鶴市の協力で、平成二十四年に立体交差点事業を完成させた―と碑文に書かれている。
今、ドラッグストアの正面にはショッピングセンターがあり、並びにはマンションが立っている。東側の鉄道の高架下には、アンダーパスの車道も開通している。
手がつけられない、とまで書かれているのだから、明治以降に市街地として発展したのは駅の北側だけで、南側は近年にようやく開発が進んだということなのだろうか。
予約していたホテルは、ドラッグストアの裏手にあった。
縦長の建物は玄関の間口が狭く、全体的にミニマムな構造ながら、屋内は清潔感に溢れていた。フロントの男性従業員さんの話し方に、やはり柔和な関西訛りがあった。
部屋で旅装を解き、少し寛いだ後、『舞廠造機部の昭和史』だけを手に、フロントに向かった。
先ほどの従業員さんにお勧めの居酒屋をたずねると、ホテルから五分ほどのレンタカー屋の近くにあるという海鮮系の店を紹介された。
八島通りと大門通りにも、気になる居酒屋を何軒か見かけた。東舞鶴には二日後にもう一泊する。その晩は港に近いホテルを予約してある。駅の北側の飲み屋には最終日に行くことにしよう。
ホテルを出ると、闇色が満ちていた。
駅前の通りを西へ。紹介された店は、ご近所さんの集いそうな小料理屋の風情だった。
カウンターのなかに女性が一人おり、正面の席に男性客が座っていた。
男性から少し離れた一席を勧められる。手書きのメニューから、生ビールと刺身の盛りあわせ、カンパチの塩焼きを頼んだ。
どちらからいらしたんですか、と女性。
土地の人間ではないとすぐにわかるのだろう。
東京です、というと、あら奇遇ね、お隣の方もそうなんですよ、と正面の男性を示した。話を向けられた男性は、私、東京の人間なんですけど、今出張で大阪に来てまして、と手短に自己紹介をした。
時間を見つけては、原付バイクで関西圏をめぐる旅を楽しんでいるというその人は、聞けば私と同じホテルに泊まっていて、やはりこのお店を勧められたという。
別にな、うちを紹介してくれてホテルの人に頼んでるわけやないねんけど、何でか紹介してくれる、と女性は笑った。
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