【前回の記事を読む】古地図と歩く、かつて秘匿されていた場所・舞鶴 ロシアのシベリア開発の脅威を受け、軍都ととして栄えてきた。その現在の姿は―。
東舞鶴 八月十二日
海軍の都
昭和十六年十二月に大東亜戦争が開戦すると、東舞鶴市に集中していた海軍の諸施設は舞鶴市内へも拡張され、行政手続きを簡略化したい海軍は、両市の統合を要望した。
行政側は、移住者中心の東舞鶴市と旧城下町の舞鶴市では住民気質が異なるとして、統合に難色を示したが、有事の最中だったこともあり、了承した。昭和十八年五月二十七日、東舞鶴市と舞鶴市は合併し、舞鶴市となった。
今日も舞鶴市内に「舞鶴」という駅はなく、「東舞鶴」と「西舞鶴」という二つの駅が存在するのは、海軍の街と古の城下町という、新旧二つの街が併存した近代舞鶴の歴史をそのままに伝えている。
養老橋の上を東西に延びている八島通りを、西へ行った。
通りはほどなくアーケード街に変わり、天井のスピーカーから、レゲエ風の陽気な音楽が鳴り響いていた。
スポーツ店やアパレルショップ、「手作りコロッケ」の看板を掲げた総菜屋の並ぶ通りを、ご近所さんらしいラフな格好の人々が疎らに行き交っている。
アーケード街を抜けると、駅頭から延びる三条通りとぶつかった。街のメインストリートながら、車の交通量は少なく、人けもない。
三条通りの歩道を、駅方面の南へ行った。すぐの沿道に「海軍ホラー・ハウス・イン舞鶴」という、お化け屋敷のようなおどろおどろしい外観の店があった。
窓には黒いスモークフィルムが貼られ、歩道から店内の様子は窺えない。と、前方からやってきた二人連れの若い女性が、ここだよ! ここだよ! と賑わしい声を上げながらその店に入っていった。