【前回記事を読む】着物を着た女将さんは祖父の知人だろうか 料理を待っていると、何か思い出したかのように女将が祖父の側に来て...
第二章 祖父の行きし天上界
義継は目の前の征一に対して、何かの図面を書いた紙を渡した。A4のサイズの白い紙には大きな円が書かれ、中心から縁に向かう線によって六分割されて、其の一つ一つに何かの名前が書かれてる。書かれてるのは、天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六つである。
義継は、征一に対して図を指差しながら話し始める。
「此れは人の心の常なる変化を表したものだ。六道輪廻(ろくどうりんね)と呼ばれる。其の中で一番上の天は人の心の喜びの状態を表す。神は天と呼ばれるが、天界は天の住む場所である。
其れは人の心の中にある。天界は天上の世界にあるのではない」
「えっ、そうなんですか」
征一は感心しながらそう言う。でも本当は、六道輪廻の事は前から知っている。其れは仏法を知っていく中では初歩的な事だ。
義継は仏壇の中の法華経の本尊を指差した。征一は祖父が自分にどんな説明をしてくるのかと期待を抱きながら次の言葉を待った。
「本尊の法華経の七文字と宗祖の二文字の左右の横に幾つもの神や仏に菩薩の名が書かれているだろ。それで宗祖はこんな事を言っていた。此の本尊、他所に求むる事なかれ。己が胸中の肉弾におはしますなりと、言ってる。あれは我らが心の内なのだ。だから天とも言う神は我らの心の内にある」
仏壇の中の本尊は小さな掛け軸の形をしてる。どうも征一は、今まで自分の心の外にあると思っていた。天とも言われる神さえ我が心の中なのか。
征一はそう思いながらも、言いたい事を思い出していた。
「最近、コンビニである本を買った」
「どんな本を?」
義継は征一が何の本を買ったのか気になった。
「其れは『世界の神々』と言う本だけど。其の本に書かれてる神々、人間の持つような欲望と感情のままの存在だ。何故、人は其のような者を拝むのか判らない」其れを聞いた義継は暫く考え込む。どう答えようかと。
「神や天と言っても、人間の行動や感情をモデルにしている場合もある。中には、人間を神にしたのもある。仏法では感情のままに心を動かされ迷う人間を凡夫(ぼんぷ)と言う。神の中にはそんな疑問を持つ者もある。だったら、仏道修業で己が人間性と社会性を向上させた方がいい」
義継はそう言い終えると、不意に腕時計を見た。
「もうそろそろ、昼飯だな。婆さんの作る飯でも食べよか」義継の話を聞き終えた征一は、御本尊の方を見る。
仏道修業と言っても、本尊に向かって法華経の題目を上げるだけだろう。修業僧が山に籠って行う修行とは違う。一般人に山に籠る余裕はないけど。それに、爺さんは末法(まっぽう)の世では此の修業しかないと言ってたと、征一は御本尊を見つめながらそんな風に思った。
「飯、食べ終わったらな、不思議な体験を話したる。それも信じ難い出来事だけど」爺さんは後で何の話をするのだ。信じ難いと言ってたから、想像出来ないのか? 考えようもないと、征一は首を傾げた。