【前回記事を読む】「運と良いシーンを逃さない事かな」――プロカメラマンの祖父と大学生の孫。二人は写真を撮りに朝の静かな神宮に来ていた

第一章 神社にて

「高井さんではありませんか」

「そうだが」

「久し振りですね」

「まあ来ようと思っても、中々来る機会がなかったので」

「此方(こちら)としては、贔屓にしてくださるだけでも有り難いです。じゃ、今から予約席に案内します。席は此方です」

征一の目に映る着物を着た女将さんは、六十代の清楚な感じの婦人に見えた。彼女は京都でも通用する京婦人にも思える。それに、彼女は祖父に可なり面識があるように思えた。祖父は此の店ではずっと常連だったか?

案内された席に座った義継と征一、料理を決めなくてはならない。

「何れにする?」

義継は尋ねるように言う。

「ひつまぶしが有名でしょ?」

「そうだけど……。二人して其れにするか」

「そうする」

注文が決まったら、席の呼び鈴を押す事になっている。義継は呼び鈴を押した。暫くして店員が来た。其の店員の服装は洋装だ。

「決まりましたか?」

「そいじゃあ、ひつまぶしを二つ」そう答えたのは、祖父の義継。

「分かりました」

注文が決まっても、ある程度待たねばならん。だから何か話して気を紛(まぎ)らわしたくなる。それに、征一は祖父の義継に尋ねたい事もある。

「此処の女将さん、京婦人みたいな感じだけど」

「そうか、そう思うか。彼女は元は京都の老舗の料理店の娘さんだ」

「それでか」

そうこう待っていると、何か思い出したかのように女将が義継の側に来た。何か言い忘れた事でも、あるのか……?

「今日の三時、出版社から頼まれた一品を写す約束でしたね?」

「確かめようとしていたが、言い忘れた。そうやった」

「撮影なら、二階の和室の個室でやれるようにしときます。ついででありますが」

「何か?」

義継は女将が何を御願いしようとするのかと……

「実は、此の店で新たにメニューに載せる何品かを写して欲しいのです」

「いいですよ。やりますよ」

「そうですか」

漸(ようよ)う二人の注文した料理が来た。店の人は二人のテーブルの上に其れらを置いていく。料理はひつまぶしに、白菜の漬物にたくあん、そして鰻の肝の吸い物だ。其れが計二セット。

二人はさっそく料理を食べ始めた。征一にとっては、此の名店の鰻料理は初めてだからか、じっくり味わうように食べていく。

しかし、どんなにゆっくり食べても、いつかは無くなっていくものだ。そして共に食べ終えて、二人は長寿軒を出た。店での三時の撮影までには、まだ時間がある。それで義継は、神宮での撮影を再び始めた。

写すのは、建物や人々だけではない。神宮の森の木々や草花も写していく。其れらは雑誌の読者に興味を持たれる。其の祖父の義継の行動を征一は側から見ている。こうして撮り続けて時間は過ぎてゆき三時近くに成り、二人は長寿軒に戻った。

撮影場所の二階の和室の個室には、幾つかのテーブルの上にそれぞれの料理が並べられていた。もう既に、撮影出来るよう店側が用意をしていた。

義継は並べられた料理を見た。それからすぐに撮影が始まった。義継は決めたカメラの方向を微妙に変えたりテーブルの上の料理を微妙にずらしたりと、より良い写真が撮れるようにと細かな事をして撮り続けた。

こうした料理の撮影は四時を過ぎ四時半まで続いた。其れを終えて神宮の拝殿前に戻ったのは五時近くで、今の季節は五時を過ぎてもまだ明るい。其れなのだからか、拝殿前に来る人は見受けられず出ていく人達が見られる。

義継はそうした神宮を出ていく人、もしくは帰宅する人の姿を一枚一枚撮った。其れは此の拝殿前だけでなく参道でも撮った。

しかし昼の長い季節の今であっても、辺りは次第に薄暗く成ってきた。気分的に、気味悪くも不安にも感じる。それでも神宮を出れば、夜の明かりで溢(あふ)れる賑やかな街だ。

「また飯にしよか。店は何処にする?」義継は孫の征一にそう尋ねる。

「また、あの長寿軒でいい」

「そうか、めったに鰻丼は食べれんからな」

征一は祖父の財布の負担が重くなるのは判っている。それでも、鰻丼は食べたい。美味しいし此の機会しかないから。

第二章 祖父の行きし天上界

次の週の日曜日、征一は祖父の義継の家に居た。二人して居る部屋は仏壇のある部屋であった。仏壇の中には、法華経の七文字と其の下に宗祖の名の二文字が書かれた本尊が掛けられている。

義継は法華宗の中でも正統派の法華本宗の信徒で、他宗教や他宗派の本尊を拝んだ事はない。其の為に、仕事で神社仏閣の撮影に行った場合、何故参拝しないのですか?と尋ねられる事もあった。

法華宗の宗祖は、時の鎌倉幕府の実質の最高権力者である執権に対し、疾病や飢饉が頻発しているのは国が邪(よこしま)な宗教を守っている事に原因があると国家の諫暁(かんぎょう)書を送った。更には、蒙古による他国侵逼(しんぴつ)の難さえ予言している。其の為、幕府から迫害を受け二度の流罪に遭ってる。

 

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