「淑子、飯はまだかー」
義継は婆さんに叫ぶように言う。
暫く間を置いて、婆さんが、
「もうちょっと待ってね」と、言う。
食事をする居間で待っていると、料理はテーブルの上に置かれていった。今日は、豚肉の生姜焼きにキャベツとピーマンの炒め物だ。特別に難しい料理ではない。豚肉の生姜焼きは、豚肉に味醂と醬油に少量の砂糖を加えてフライパンで炒めれば良い。料理としては簡単な方で可なり美味しい。
実は此のメニュー、義継が独身で一人暮らしをしていた若き頃に作っていた物だ。其れが結婚後に妻となった淑子が受け継いで作るようになった。其の為、元を辿れば爺さんの味なのだ。
豚肉の生姜焼きを美味しく食べ始めた征一だが、ふと、義継に何か言ってみたくなった。
「爺さん、もし、戒律で肉が食えない人がイヌイットの暮らす北極で生きようとしたら、どうするんでしょう?」
「そうじゃな……、宗教の戒律に従ったら、死ぬしかないな。どうしても生きたきゃあ、戒を破って肉を食うしかない。だから宗教に拠る食の制限には、どうしても反対なのだ」
「そうですか。では、仏教で僧の肉食が禁止されてる事は?」此れは征一がずっと前から気になっていた事だ。
「残念ながら、経文にはそんな事、書かれてない。釈尊が亡くなってからずっと後に決められた事だ」「そうですか。……本当は……、肉を食っちゃあかん経は聞いた事は無いのだが……」
「元々肉食厳禁なんぞ、釈尊は言ってない。だからそんな経文も無い」
「そうですか」
征一には、思うところがあった。
地球上には、農耕に向かない所がある。そんな所では、農作物に頼って生きてゆけない。寒過ぎる。暑過ぎる。そして乾燥し過ぎている。そんな所では肉しかない。肉を、食わねばどう生きれば良いのか? それでは、宗教は人にとっては生存を困難にさせてしまうのではないのか。
征一は、いつしか思うのも止め、只、食べる事に心を向けていく。
テーブルでは、祖父も祖母も豚の生姜焼きを食べている。其の食べ様から、美味しさが見て取れる。