【前回の記事を読む】ごみの城と呼ばれた魔の孤島であたしは願う、いつか、こんな連中を見なくて済む世界へ、薄い霧の向こうへ、本島と呼ばれる場所へ

一 ごみの城

薄闇の勝手口では片手でビール樽を運んでいる男がいた。本名を敏夫といい、至って常人だった。しかし、この屋台村で彼を知らない人間はいない。〈左腕の悲劇〉と呼ばれた戦歴を住人たちは憧憬の目で見つめ、そして、勝手に崇めたのだ。

二度と蘇らない片腕。虚しく揺れる袖口が、今夜も闇に紛れようとしていた。

「ああ、テルか。どうした、その髪」

完全に失念していた。堂々と癖のない黒髪を晒し、厨房から漏れる暖色の光の中で馬鹿みたいに立ち尽くしていたのだ。

「ウィッグ……」

「はあ、かつら・・・、ね。おい、こんな時間にうろつくなって言ったろ。昼でも構わないって」

空気が軋んだ。彼が無精ひげを掻くのは苛立ちを隠しているという無言の申告。でも、今夜はあたしにだって譲れない理由があった。

「昼は駄目だよ。あいつにバレる」

ここは早々に立ち去ることにした。彼の眉間に細い皺が刻まれた気がしたからだ。その一瞥はあたしの繕いを繕いとして解き始める。そうなる前に、取り出した万札を彼の手に押しつけた。

「おい、ちょっと待て」

やはりここは大股に退くべきだった。

「こんな大金どうした。いつもと額が違うだろうが!」